簿記のしくみ●○○○○

借方と貸方

Debit and Creditかりかたとかしかた

帳簿の左右を指す簿記の基本記号。左が借方、右が貸方で常に一致する

概要

借方(かりかた)と貸方(かしかた)は、複式簿記の帳簿における「左」と「右」を指す用語です。帳簿のあらゆる記録は左右一対で行われ、左側に書くことを「借方に記入する」、右側に書くことを「貸方に記入する」と言います。英語では借方が Debit(略号 Dr)、貸方が Credit(略号 Cr)です。

初学者を最も混乱させるのは、この言葉に「借りる」「貸す」という日本語の意味を読み込もうとしてしまうことです。実際には、現代の簿記における借方・貸方は語源から意味が離れきった、事実上ただの記号です。「借方=左、貸方=右」と割り切って覚えるのが正解で、簿記の教科書もほぼ例外なくそう教えます。「かりかた」の「り」が左へ、「かしかた」の「し」が右へ払う、という字形の覚え方が定番です。

記号にすぎないとはいえ、左右の使い分けには一貫したルールがあり、それが簿記の骨格を成しています。どの要素が増えたら左に書くのか、減ったら右に書くのか — このルールを身につけることが、仕訳を切れるようになるための最初の関門です。

なぜ生まれたか

「借方・貸方」という言葉は、中世イタリアの商人の帳簿に由来します。当時の帳簿の中心は人名勘定、つまり「誰にいくら貸したか・借りたか」の記録でした。相手にお金を貸したとき、その相手は自分から見て「借り主」なので、その債権を帳簿の左ページに書き、「借り主の側」=借方と呼びました。逆に相手から借りたときは、相手は「貸し主」なので右ページに書き、「貸し主の側」=貸方と呼んだのです。つまりもともとは「相手から見た立場」を表す言葉でした。

やがて簿記が発展し、現金・商品・建物といった人名でない勘定にも同じ左右の形式が流用されると、「借りる・貸す」という語義は実態と合わなくなりました。それでも左右を呼び分ける名前としては便利だったため、言葉だけが残り、今日の「意味のない記号」に至ります。福澤諭吉が明治期に西洋簿記を翻訳した際、Debit / Credit にこの訳語を当てたことで日本語にも定着しました。語義が失われてもなお使われ続けるのは、「すべての記録者が同じ側に同じものを書く」という取り決め自体に価値があるからです。世界中の帳簿が左右の約束を共有しているからこそ、誰が付けた帳簿でも同じ方法で読め、検算できるのです。

詳細

五要素の定位置

借方・貸方のルールは、会計等式の形とそのまま対応しています。資産・負債・純資産・収益・費用の五要素には、それぞれ「ホームポジション(定位置)」があります。資産と費用は借方(左)、負債・純資産・収益は貸方(右)が定位置です。そして「増えたら定位置の側に、減ったら反対側に書く」— ルールはこれだけです。

借方(左 / Debit)貸方(右 / Credit)資産の増加減少は貸方へ費用の発生取消は貸方へ負債・純資産の減少収益の取消負債・純資産の増加減少は借方へ収益の発生取消は借方へ資産の減少費用の取消実線=定位置(増加を書く側)、点線=反対側(減少を書く側)。どの取引も左右の金額は必ず同額
五要素の定位置と増減の記入ルール — 増加はホーム側、減少は反対側に書く

なぜこの配置なのかは、会計等式「資産 = 負債 + 純資産」を思い浮かべると腑に落ちます。等式の左辺にある資産は左(借方)が定位置、右辺にある負債と純資産は右(貸方)が定位置です。収益は純資産を増やすものなので純資産と同じ右、費用は純資産を減らすものなので反対の左に定位置を持ちます。借方・貸方のルールは丸暗記の対象ではなく、等式の構造の写しなのです。

仕訳での使われ方

実際の記録では、取引を二面に分解した仕訳の形で借方・貸方が登場します。たとえば「商品を50万円売り上げ、代金は現金で受け取った」なら、資産(現金)の増加を借方に、収益(売上)の発生を貸方に書きます。

(借方)現金 500,000 /(貸方)売上 500,000

「銀行に借入金100万円を現金で返済した」なら、負債(借入金)の減少を借方に、資産(現金)の減少を貸方に書きます。負債が「減る」ときは定位置の反対、つまり借方に来る — この反転が最初はつまずきどころですが、定位置ルールに機械的に従えば迷いません。

T字勘定と貸借一致

仕訳は勘定科目ごとに総勘定元帳へ転記されます。このとき各勘定は、左に借方・右に貸方を持つ「T字勘定(Tアカウント)」の形で描かれます。現金勘定なら、入金はすべて左に、出金はすべて右に並び、左右の差額がその時点の残高です。資産の勘定は通常、借方残高(左が大きい)に、負債・純資産の勘定は貸方残高になります。もし現金勘定が貸方残高になっていたら「現金がマイナス」という物理的にありえない状態なので、どこかに記帳ミスがあるサインです。

すべての仕訳が借方合計=貸方合計で書かれる以上、全勘定を集計しても借方総額と貸方総額は必ず一致します。これを定期的に検算するのが試算表です。借方・貸方というたった二つの記号の規律が、帳簿全体の自己検証能力を支えている — ここに、この地味な用語の本当の重みがあります。