ベイズファクター
Bayes Factor ・ べいずふぁくたー
2つの仮説のもとでのデータの起こりやすさの比。ベイズ流の仮説比較指標
概要
ベイズファクターは、2つの仮説(モデル)を比べるとき、「観測されたデータは、どちらの仮説のもとでどれくらい起こりやすかったか」の比で表す指標です。仮説H1のもとでデータが得られる確率を、仮説H0のもとでデータが得られる確率で割った値で、たとえばベイズファクターが10なら「このデータはH1のもとでH0の10倍起こりやすい。データはH1を支持する証拠だ」と読めます。
これはベイズ推論を「パラメータの推定」ではなく「仮説の比較」に使うときの中心的な道具です。頻度論の仮説検定が「帰無仮説を棄却できるか」という非対称な二択で答えるのに対し、ベイズファクターは2つの仮説を対等に扱い、証拠の強さを連続量として返します。「H0を支持する証拠がある」という、頻度論の検定では原理的に言えない結論も出せるのが大きな特徴です。
心理学をはじめとする実験科学でp値への批判が高まって以降、その代替・補完としてベイズファクターを報告する研究が増えており、統計ソフトJASPなどの普及で計算の敷居も下がっています。
なぜ生まれたか
頻度論の仮説検定には、構造的なもどかしさがあります。p値は「帰無仮説が正しいとしたら、このデータ以上に極端な結果が出る確率」であって、本当に知りたい「データを見た今、どちらの仮説がどれくらい確からしいか」には答えてくれません。しかも検定は帰無仮説を棄却するか保留するかの二択で、「差がないことを積極的に支持する」ことができない。さらにデータを増やせばどんな微小な差でもいずれ有意になるため、証拠の強さの尺度としては使いにくいものでした。
1930年代、地球物理学者でもあったハロルド・ジェフリーズは、ベイズの定理を仮説そのものに適用することでこの問題に答えました。仮説の事前の確からしさの比(事前オッズ)に、データがもたらす更新係数を掛ければ、データを見たあとの確からしさの比(事後オッズ)が得られる。この更新係数 — 事前の信念とは独立に「データが証拠としてどちらをどれだけ押すか」だけを取り出した部分 — がベイズファクターです。信念の主観的な部分(事前オッズ)と、データが語る客観的な部分(ベイズファクター)を分離できたことが、この指標を報告に耐えるものにしました。
詳細
事前オッズを更新する係数として
ベイズファクターの位置づけは、オッズ(確からしさの比)で書いたベイズの定理を見ると明快です。データDを観測したあとのH1とH0の事後オッズは、事前オッズにベイズファクターを掛けたものになります。つまり「事後オッズ = ベイズファクター × 事前オッズ」。ベイズファクターは、データが信念の天秤をどちらへ何倍傾けたかを表す係数です。
分子と分母に現れる「その仮説のもとでのデータの確率」は周辺尤度(marginal likelihood)と呼ばれます。仮説がパラメータを持つ場合、特定のパラメータ値での尤度ではなく、事前分布で重み付けしてパラメータ全体で平均した尤度を使います。最尤法のように最も都合のよい1点だけで評価するのではなく、仮説が主張する範囲全体での「平均的な予測の当たり具合」で評価する — これがベイズファクターの本質です。
証拠の強さの読み方
ベイズファクターは連続量ですが、解釈の目安としてジェフリーズに由来する慣例的な区分がよく使われます。1〜3は「言及に値する程度」、3〜10は「まずまずの証拠」、10〜30は「強い証拠」、30〜100は「非常に強い証拠」、100超は「決定的」。逆に1未満はH0側を支持し、たとえば0.1は「H0を支持する強い証拠」です。1に近い値は「このデータではどちらとも言えない」を意味し、証拠不足を証拠不足として正直に報告できます。これは検出力不足の実験で「有意でなかった」ことが何も語らないのと対照的です。
自然に組み込まれたオッカムの剃刀
周辺尤度で比較することには、複雑なモデルが自動的に罰せられるという美しい副作用があります。パラメータの自由度が高い複雑な仮説は、いろいろなデータを説明「できてしまう」ぶん、事前分布の確率を広い範囲に薄く配らざるを得ず、実際に観測された特定のデータに割り当てられる確率は薄まります。単純な仮説は予測が絞られているぶん、その予測が当たったときに高い周辺尤度を得ます。「同程度に説明できるなら単純な説明を選べ」というオッカムの剃刀が、外付けの罰則項なしで組み込まれているのです。
落とし穴と実務上の注意
最大の注意点は、ベイズファクターが事前分布に敏感なことです。信用区間のような推定はデータが増えれば事前分布の影響が薄れますが、ベイズファクターの分子・分母は事前分布で平均した量なので、対立仮説の事前分布を極端に広く取ると、それだけで対立仮説側の周辺尤度が下がり、帰無仮説が有利になります。「どんな効果の大きさをもっともらしいと考えるか」の設定が結論を左右するため、事前分布の根拠と感度分析(設定を変えても結論が変わらないかの確認)を添えるのが作法です。
計算面では、周辺尤度は高次元の積分であり、MCMCで事後分布を近似するよりさらに難しい問題です。ブリッジサンプリングなどの専用手法や、単純な仮説対では共役事前分布による解析解が使われます。また、ベイズファクターはあくまで「候補に挙げた仮説どうしの相対比較」であり、両方の仮説が的外れなら、大きなベイズファクターも「ましなほう」を指しているに過ぎません。p値と同じく、単独の数字を儀式的に敷居値と比べるのではなく、効果量や推定結果と合わせて解釈することが大切です。
