調性●●●●●

無調

Atonalityむちょう

主音の重力を捨てた音楽。20世紀初頭、調性の限界の先に現れた新世界

概要

無調(アトナリティ)とは、調の中心 — 「この音に帰れば終わる」という主音の重力 — を持たない音楽のことです。調性音楽では、旋律も和音も最終的に主音・主和音へ引き寄せられる力の場の中で動いていますが、無調音楽はその力の場そのものを取り払います。12の音はどれも特別扱いされず、「ここが家だ」という帰着点のないまま音楽が進んでいきます。

無調は20世紀初頭、シェーンベルクとその弟子ベルク、ウェーベルン(あわせて新ウィーン楽派と呼ばれます)によって切り拓かれました。初めて聴くと「デタラメに聞こえる」と感じる人が多いのですが、無調は無秩序ではありません。調の重力の代わりに、動機の変形、音程の構成、音色やテクスチュアといった別の原理で音楽を組織します。現代では純粋な無調作品を聴く機会は多くないかもしれませんが、映画やゲームの恐怖・混沌・異世界の場面の音楽には無調の語法が深く浸透しており、実は誰もが日常的に耳にしています。

なぜ生まれたか

無調は、破壊衝動からではなく、半音階技法の行き着いた必然として生まれました。ワーグナー以後の後期ロマン派では、転調が速く遠くなり、解決しない不協和音が長く続き、主和音がほとんど鳴らない音楽が書かれるようになっていました。半音階の12音がほぼ対等に飛び交うなら、7音を「調の内側」、5音を「外側」とする区別はもはや実態を失っています。調性という枠は、表現の要求に対して限界まで引き伸ばされ、破れる寸前だったのです。

シェーンベルクは1908年頃、この最後の一線を越えます。弦楽四重奏曲第2番の終楽章や「3つのピアノ曲」作品11で、調号を捨て、不協和音を協和音へ解決させる義務を放棄しました。彼はこれを「不協和音の解放」と呼びます。それまで不協和音は「協和音へ解決するまでの途中経過」としてのみ存在を許されていましたが、解決の義務から解放すれば、不協和音はそれ自体が自立した表現になる — という考え方です。なお、シェーンベルク自身は「無調(調が無い)」という否定形の呼び名を嫌い、「汎調性(すべての調を含む)」と呼ぶべきだと主張していました。調性の否定ではなく拡張の果てである、という自己認識がそこに表れています。

詳細

何が消えるのか — 調性という力学系の解除

無調で失われるのは、単に「主音」だけではありません。調性音楽を支えていた一連の仕組みが連鎖的に意味を失います。主音がなければ音度(第何音という役割)がなくなり、音度がなければトニック・ドミナントといった機能和声の役割分担が成立せず、機能がなければドミナントモーションの推進力も終止形という句読点も打てません。協和と不協和の区別も「解決すべきか否か」という文法上の意味を失い、単なる響きの色合いの違いになります。無調とは個々の禁則の違反ではなく、音同士の関係を定めていた力学系ごとの解除なのです。

調性 — 中心のある宇宙主音すべての音が主音への引力の場の中にある無調 — 中心のない宇宙中心なし12音は対等引力の矢印が消え、どの音も帰着点にならない
調性と無調 — 中心のある宇宙と、中心のない宇宙

何が音楽を組織するのか

では調の重力なしで、音楽はどうやってまとまりを保つのでしょうか。初期の無調作品(「自由な無調」と呼ばれる1908〜1921年頃の様式)では、主に3つの原理が調性の代役を務めました。第一に動機の徹底的な変形です。短い音型を反転・拡大・移調しながら織り上げる技術は、対位法以来の伝統をそのまま無調に持ち込んだものです。第二に音程の構成で、たとえば「短2度と増4度」のような特定の音程の組み合わせ(後の理論ではピッチクラス・セットと呼ばれます)を響きの統一材として使います。第三に音色とテクスチュアです。シェーンベルクは和声の代わりに音色の変化そのものを旋律のように扱う「音色旋律」を構想しました。調の引力が消えたぶん、これらの要素が前景に出てきたのです。

代表作と表現の領域

自由な無調の時代の代表作には、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」(1912年。語りと歌の中間の唱法シュプレヒシュティンメを用いた歌曲集)、ウェーベルンの極度に凝縮された小品群、ベルクのオペラ「ヴォツェック」(1925年初演)があります。注目すべきは、これらの多くが不安・狂気・夢・抑圧といった主題と結びついていることです。当時のウィーンで同時代に進行していた表現主義の絵画(ココシュカ、シーレ)や精神分析(フロイト)と呼応し、無調は「調和した世界の裏側にある心理」を描く言語として選ばれました。現代のホラー映画のスコアが無調的な弦のクラスターを使うのは、この表現の系譜が今も生きている証拠です。

無調の困難と、その先へ

しかし自由な無調には構造上の困難がありました。調性音楽では「主和音に戻れば終わり」「ドミナントで区切り」というように、転調と終止の設計がそのまま大きな形式(ソナタなど)の骨組みになっていました。重力を捨てた無調にはこの骨組みがなく、作品はどうしても短くなるか、歌詞や台本という外部の支えを必要としました。実際、この時期の無調作品の多くは数分の小品か声楽付きです。シェーンベルクはおよそ10年の模索の末、12音を平等に扱いながら大規模な器楽形式を支えられる新しい統一原理 — 十二音技法を考案します。無調が切り拓いた自由に、秩序を与え直す試みでした。

聴きどころと誤解

無調を聴くときの最大のコツは、「次にどの和音へ解決するか」という調性の聴き方をいったん手放し、動機の変形や音色の推移を追うことです。無秩序に聞こえるのは、調性の文法で解読しようとして失敗しているだけで、別の文法で書かれた音楽だと分かれば表情は一変します。また「無調=不協和音だらけの音楽」という理解も正確ではありません。要点は不協和の量ではなく中心の不在です。逆に、12音すべてを使っても中心が感じられれば無調とは言えません(全音音階を多用したドビュッシーは調性を曖昧にしましたが、中心音の感覚は保っています)。無調は音の選び方ではなく、音同士の関係の結び方の革命なのです。