音と音程●●○○○

変化記号

Accidentalへんかきごう

♯♭♮で音を半音上下させる記号。7音の五線に12音を書くための仕掛け

概要

変化記号は、音符の高さを半音単位で上下させる記号です。半音上げるシャープ(♯)、半音下げるフラット(♭)、そしてそれらの効果を打ち消して元の高さに戻すナチュラル(♮)が基本の3つで、さらに全音(半音2つ分)上下させるダブルシャープ(𝄪)とダブルフラット(𝄫)があります。「ド♯」「シ♭」のように音名に添えて読み、ピアノでいえば黒鍵の音の多くはこの記号を使って表されます。

背景にあるのは、五線譜の設計上の事情です。五線の線と間の位置は、ドレミファソラシという7つの基本音名(幹音)にしか対応していません。しかし1オクターブの中には実際には12の半音が存在します。7つの「住所」に12の音を住まわせるための仕掛けが変化記号であり、住所(五線上の位置)はそのままに、表札に♯や♭を添えて半音のずれを表現しているのです。

なぜ生まれたか

五線譜の原型が生まれた中世ヨーロッパの聖歌は、基本的に7つの幹音だけで歌えました。ところが実際の歌唱では、旋律の流れによって「シ」だけは半音低い「シ♭」で歌いたい場面が頻繁に生じます(ファとシの間の不安定な音程を避けるためです)。そこで、丸みを帯びた小文字の b で「柔らかいシ(シ♭)」を、角張った b で「硬いシ(シ♮)」を書き分ける記法が生まれました。丸い b がフラット(♭)に、角張った b がナチュラル(♮)とシャープ(♯)に変化していった — 現在の記号の形は、この中世の「2種類のシ」の書き分けの直系の子孫です。

その後、音楽が多くの調を行き来するようになり、旋律や和声の彩りとして幹音以外の音(ソ♯やミ♭など)が日常的に使われるようになると、任意の音を半音上下させる汎用の仕組みへと拡張されました。英語名 accidental(臨時のもの)は、これらの音が本来の音階に対する「臨時の変更」とみなされたことに由来します。五線譜を7音設計のまま作り直さず、記号の追加だけで12音対応させた — 変化記号は、記譜法の歴史上もっとも成功した後方互換の拡張だと言えるでしょう。

詳細

5つの記号と鍵盤上の意味

変化記号の効果を鍵盤でイメージすると明快です。♯は「その音の右隣の鍵(半音上)」、♭は「左隣の鍵(半音下)」を指します。ドに♯を付ければドとレの間の黒鍵、レに♭を付けても同じ黒鍵です(この「同じ鍵に別の名前」という現象は異名同音と呼ばれます)。注意したいのは、ミとファ、シとドの間には黒鍵がないことです。そのためミ♯は白鍵のファと同じ高さになり、ファ♭はミと同じ高さになります。「♯=黒鍵」ではなく「♯=半音上」が正確な理解です。

ファド♯ = レ♭♯→←♭黒鍵なし(半音)黒鍵なし(半音)白鍵7個 + 黒鍵5個 = 1オクターブ12音
変化記号の鍵盤上の意味 — ♯は右隣(半音上)、♭は左隣(半音下)の鍵を指す。ミ・ファ間とシ・ド間には黒鍵がない

ダブルシャープとダブルフラットは一見不要に思えます。ソ𝄪はラと同じ高さなのだから、素直にラと書けばよいのでは、と。しかし和声の文法上、「この音は第7音を半音上げたものだ」という出自を綴りで示す必要がある場面(たとえば嬰ト短調の導音はファ𝄪であってソではない)があり、そこでは二重の変化記号が正しい表記になります。音の高さだけでなく、音の役割を書き分けるのが変化記号の役目なのです。

効力のルール — どこまで有効か

臨時記号として使われる変化記号には、明確な効力範囲のルールがあります。第一に、記号は付けられた音符からその小節の終わりまで、同じ位置(同じオクターブの同じ音名)の音すべてに効きます。小節内で2回目のファ♯にはもう♯を書きません。第二に、小節線を越えるとリセットされ、次の小節のファは自動的にファ♮に戻ります。第三に、タイ(音を伸ばす弧線)で小節をまたぐ場合だけは、伸ばしている音に限り効力が持続します。また、効力は同じオクターブ位置に限られるため、五線の別の高さに書かれた同名の音には及びません。

このリセット規則は読み手の記憶負担を小節単位に区切るための設計ですが、落とし穴にもなります。前の小節で♯が付いていた音が今の小節では元に戻っている、という見落としは初見演奏の定番ミスです。そのため実際の楽譜では、規則上は不要でも念のためナチュラルを書き添える「親切記号」(courtesy accidental)が広く使われています。

調号との分業

変化記号の使われ方には2つのモードがあります。曲の途中で個別の音符に付ける臨時記号と、五線の左端にまとめて掲げる調号です。調号は「この曲ではファは常にファ♯」というように、曲全体(または転調するまで)にわたって特定の音を変化させる宣言で、同じ♯や♭の記号を使いながら、効力範囲がまったく異なります。臨時記号が「この小節だけの例外」を書くのに対し、調号は「この曲の標準」を書く — 両者の分業によって、楽譜は変化記号だらけにならずに済んでいます。

臨時記号が大量に現れる音楽もあります。12音すべてを均等に使う半音階的な音楽やジャズのソロの採譜では、ほとんどの音符に♯♭♮が付くことも珍しくありません。このとき「上行はシャープ、下行はフラットで書く」といった読みやすさの慣習があり、同じ高さでもどう綴るかは文脈次第です。この「綴りの選択」の問題は、異名同音の語彙でさらに深掘りされます。