ミクロ経済●●●○○

現在バイアス

Present Bias ・ げんざいばいあす

目先の報酬を不釣り合いに重く見て、遠くで立てた計画を直前で覆してしまう、時間の感じ方のクセ

✦ 30秒で試す — 航海1か月前は「待つ」と決めたのに、前日になると手が伸びる乗り換えられないよう予約で自分を縛るなら、いつ?予想してみる

概要

現在バイアスとは、「今すぐ」の満足を、少し先の満足に比べて不釣り合いなほど強く好んでしまう傾向のことです。今日の1万円と明日の1万100円なら今日を選ぶのに、1年後の1万円と1年と1日後の1万100円なら、1日待って多いほうを選ぶ。同じ「1日待てば100円増える」という条件なのに、それが目の前に迫ったときだけ我慢が効かなくなります。この一貫性のなさが現在バイアスの核心で、行動経済学が見つけたもっとも影響の大きい人間のクセの一つです。

このクセは、遠い将来については立派な計画を立てられるのに、その将来が「今」になった途端に計画を覆してしまう、という形で日常に現れます。ダイエットは明日から、勉強は週末から、貯金は来月から。昨日の自分が立てた計画を今日の自分が反故にし、それを明日の自分にまた期待します。先延ばし、夜更かし、貯蓄不足、運動不足といった「分かっているのにやめられない」行動の多くは、意志の弱さという個人の資質の問題ではありません。人間の時間の感じ方に組み込まれた、構造的なゆがみとして説明できます。

なぜ生まれたか

経済学は長く、人が将来の価値を割り引く仕方を「指数割引」で表してきました。ポール・サミュエルソンが1937年に示した割引効用モデルで、将来の価値を1日ごとに一定の率で割り引くという想定です。これなら「今日か明日か」でも「1年後か1年と1日後か」でも、1日分の割引率は同じです。時間が経っても好みの順位は入れ替わりません。計算しやすく、複利とちょうど鏡写しの関係にある扱いやすいモデルでした。

最初に疑問を投げたのはロバート・ストロッツ(1956年)です。割引が指数型でなければ、今日の自分が立てた最適な計画を、明日の自分が最適だと思わなくなる — 「時間不整合」が起きることを示しました。エドマンド・フェルプスとロバート・ポラック(1968年)は、世代間の貯蓄を分析する中で「今の世代だけを特別に重く見て、それ以降は一律に割り引く」という割引の形を導入します。これが後に準双曲割引(β-δモデル)と呼ばれるものの起源です。

一方、現実の人間は、指数割引では起こらないはずの行動を大量に見せていました。金利の高いリボ払いで買い物をしながら、低金利の預金を持ち続ける。割高な会費のスポーツジムに入会して、ほとんど通わない。夏休みの宿題を最終日まで残す。心理学者ジョージ・エインズリー(1975年)は、動物と人の実験で、報酬が近づくほど割引が急になる「双曲割引」を示しました。リチャード・セイラー(1981年)も、人に待つ見返りを尋ねる実験で、待つ期間が短いほど1日あたりの割引率が高くなることを確かめています。

1997年、デイヴィッド・レイブソンがフェルプスとポラックの形を個人の貯蓄の問題に応用し、「今だけを特別扱いする」簡潔なモデルで貯蓄不足を分析しました。これで、先延ばしや貯蓄不足を経済学の言葉で分析し、制度設計に活かす道が開けました。人間の合理性には体系的な限界があるという限定合理性の見方を、時間の選好の領域で具体化したのが現在バイアスです。

詳細

選好の逆転 — 遠くでは我慢できるのに、直前で覆す

現在バイアスの最大の特徴は「選好の逆転」です。小さくて早い報酬と、大きくて遅い報酬を比べます。どちらも十分遠い時点から眺めれば、人は大きい報酬を選びます。ところが小さい報酬が目前に迫ると、その主観的な価値が急に膨れ上がり、評価が逆転します。

下の図は、40日目にもらえる1万円(A)と、50日目にもらえる1.5万円(B)を、各時点の「今」から見た価値で描いたものです。左は双曲割引(価値 = 金額 ÷(1 + 0.1 × 待つ日数))、右は指数割引(1日2%ずつ割り引く)です。

双曲割引(人間)今から見た価値逆転 30日目A 1万円B 1.5万円遠くでは B が上0日304050指数割引(教科書)A 1万円B 1.5万円どの日から見ても B が上(2本の比は常に 1.23 倍)0日4050横軸 = 「今」がどの日か。曲線はその日から見た A・B の価値
選好の逆転 — 双曲割引では30日目で2本が交わり、それ以降は小さい報酬 A が大きく見える。指数割引では2本の比がどの日も同じで、交わらない

0日目から見ると、Aの価値は2,000円、Bは約2,500円で、Bが上です。30日目、Aまで10日・Bまで20日の時点で、両方の価値がちょうど5,000円で並びます。それより後はAが上に来ます。0日目に「50日目まで待つ」と決めた人も、35日目にはAに手を伸ばすのです。指数割引の世界ではこの2本は決して交わりません。交わるのは、割引が「今に近いほど急」な双曲型だからです。

経済学でよく使う準双曲割引(β-δモデル)は、これをもっと簡潔に表します。「今」の報酬はそのまま、将来の報酬はどれも一律に β(たとえば0.7)を掛けてから、ふつうの指数割引をする、という形です。今日の1万円と明日の1万100円なら、1万円 対 0.7 × 1万100円 = 7,070円で、今日を選びます。1年後と1年と1日後なら、どちらにも同じ0.7が掛かるので、1日待って多いほうを選びます。将来のどの2時点を比べるときは冷静なのに、「今」対「将来」になった瞬間だけ、今が特別扱いされるのです。将来の価値を割り引いて今と比べるという現在価値の計算に、この β が1つ入るだけで、計画と行動が食い違うようになります。

部品で確かめてください。「今」の線を右へ滑らせると、今から見た2つの報酬の価値が膨らんでいきます。

⚡ 体験: 「今」を動かして、選好の逆転を見る
A: 10,000円B: 15,000円逆転 30日目今 0日目鍵(ドラッグして置く)
今から見た A2,000円B2,500円いま選ぶのはB(大きく遅い)
割引のしかた

「今」の線(白い縦線)をつかんで右へ滑らせてください。今から見た2つの報酬の価値が、日が近づくにつれてどう膨らむかが分かります。

横軸=日、縦軸=「今」から見た主観的な価値。緑青=小さくて早い報酬 A、金=大きくて遅い報酬 B。白い縦線=今。下の鍵を時間軸へドラッグすると、その日に大きい報酬へ縛る

交差の日を過ぎた瞬間から、同じあなたの好みが反対を向きます。指数割引に切り替えると、どこへ動かしても順位は変わりません。鍵を交差より前に置くと、交差の後の自分が何を望もうと、大きい報酬のほうに縛られます。これが次に見るコミットメントの仕組みです。

自分のバイアスを知っているか — ナイーフとソフィスティケート

テッド・オドノヒューとマシュー・ラビン(1999年)は、自分が将来も誘惑に負けることを見抜いている人(ソフィスティケート)と、「明日の自分はちゃんとやる」と信じ続ける人(ナイーフ)を区別しました。ナイーフな人は、先延ばしを延々と繰り返します。今日やらない理由は「明日やるから」で、明日になれば同じ理屈がまた成り立つからです。ソフィスティケートな人は、将来の自分を信用していないからこそ、先回りして手を打ちます。締め切り前に友人と進み具合を報告し合う約束をする、給料日に自動で積立口座へ振り替える、お菓子をそもそも家に置かない。将来の自分の選択肢を今のうちに縛るこうした仕掛けを「コミットメント・デバイス」と呼びます。

縛ることには代償もあります。解約できない積立は、急な出費のときに身動きを取れなくします。部品で「逆転の直前」に鍵を置くのがいちばん安上がりなのは、縛られる期間が短いほど、その間に事情が変わる危険が小さいからです。アリエリーとヴェルテンブロッホ(2002年)は、学生が自分で締め切りを設定できるようにすると、多くが自ら締め切りを前倒ししたことを示しました。ただし、学期末に一括で出す自由が与えられた学生より成績は良かったものの、教員が等間隔の締め切りを決めた学生ほどではありませんでした。人は自分を縛る価値を知っていますが、最適には縛れない、という結果です。

決定的な実証 — ジムの会費と、明日もっと貯蓄しよう

ステファノ・デラヴィーニャとウルリケ・マルメンディア(2006年)は、米国のスポーツジムの会員データを調べました。月会費70ドルあまりの会員は、平均して月4回ほどしか通わず、1回あたり17ドル以上を払っていました。1回10ドルの回数券のほうが安かったのにです。入会時の自分は「毎週通う未来の自分」を過大に見積もっていて、しかも解約の手続きも先延ばしにしていました。ナイーフな現在バイアスの典型です。

逆に、このクセを制度で逆手に取ったのが、セイラーとシュロモ・ベナルツィの「Save More Tomorrow(明日もっと貯蓄しよう)」(2004年)です。今の手取りを減らす貯蓄は嫌がられますが、「次の昇給のときから積立率を上げる」という約束なら、痛みは将来に回るので受け入れやすくなります。ある企業での導入では、参加者の貯蓄率が平均3.5%から、4回の昇給を経た40か月後には13.6%まで上がりました。今の自分に「遠い将来の話」として決めさせ、将来の自分がそれを覆す手間(解約の手続き)を小さな摩擦として残す — 現在バイアスの構造をそのまま設計図にした仕組みです。

実務と制度設計への影響

最大の応用先は老後の貯蓄です。複利の力を考えれば若いうちからの積立が圧倒的に有利だと、誰もが頭では分かっています。それでも貯蓄の開始は先延ばしされ続けます。この問題への処方箋としてもっとも成功したのが、企業年金への「自動加入」です。最初から加入済みにして脱退だけを自由にすると、先延ばしの力が「加入しない」ではなく「脱退しない」向きに働き、加入率が劇的に上がります。選択の自由を奪わずに行動だけを変えるこの手法は、ナッジの代表例になりました。解約しにくい積立型の年金が根強く支持されるのも、金銭的に有利だからというより、この「縛り」の価値ゆえだと解釈できます。

一方で、このクセを利用する側にも目を向ける必要があります。「今なら無料、解約はいつでも」というサブスクリプション、初月の手数料ゼロのリボ払い、後払い決済は、いずれも「支払いの痛みを将来へ、満足を今へ」動かして現在バイアスに訴える設計です。リボ払いの手数料は年15%前後に達することが多く、金利の数字を見れば割に合わないのに、「今月の支払いが少ない」ことが勝ってしまいます。

最後に、測り方の注意です。お金の受け取り時期を選ばせる実験では、条件を整えると現在バイアスがほとんど見られないという結果もあります(アンドレオーニとスプレンガー、2012年)。一方、「今日働くか、来週働くか」という労力の配分では、はっきりした現在バイアスが観察されます(オーゲンブリック、ニーデルレ、スプレンガー、2015年)。お金は受け取ってもすぐ使うとは限らないので、本当に「今」を特別扱いしているのは、お金そのものより、今の快楽や今の苦労なのかもしれません。

試問

今度の2つの報酬は、金額も日取りも毎回変わります。逆転の日は表示されません。

✦ 命題挑戦中

未来の自分が大きい報酬を受け取れるように、逆転が起きる前のできるだけ遅い日に鍵を置け

  • 鍵を置いた日の自分は、まだ大きい報酬を選んでいる
  • 鍵は逆転の直前(逆転まで5日以内)にある
  • 「今」を小さい報酬の日まで進め、大きい報酬を守れたことを確かめた
⚡ 体験: 逆転の前に、未来の自分を縛る
A: 10,000円B: 15,000円今 0日目鍵(ドラッグして置く)
今から見た A1,988円B2,582円いま選ぶのはB(大きく遅い)

10,000円(31日目)と 15,000円(37日目)。今は0日目で、あなたは大きい報酬を待つつもりです。「今」の線を動かして逆転の日を見つけ、鍵をその直前に置いてください。

横軸=日、縦軸=「今」から見た主観的な価値。緑青=小さくて早い報酬 A、金=大きくて遅い報酬 B。白い縦線=今。下の鍵を時間軸へドラッグすると、その日に大きい報酬へ縛る