差の差法
Difference in Differences ・ さのさほう
施策前後の変化を対照群と比べ、共通トレンドを差し引いて効果を取り出す手法
概要
差の差法(DID)は、施策を受けたグループ(処置群)の前後の変化から、施策を受けなかったグループ(対照群)の前後の変化を差し引いて、施策の効果を取り出す手法です。「差(前後の変化)」の「差(群間の比較)」を取ることが名前の由来です。ある県だけ最低賃金が上がった、あるチェーンの一部店舗だけ新制度を導入した — こうした「一部にだけ変化が起きた」状況で威力を発揮します。
単純な前後比較は「景気や季節のせいかもしれない」という疑いを消せず、単純な群間比較は「もともと違う集団だから」という疑いを消せません。DIDはこの2つの弱点を互いに打ち消し合わせます。時間とともに起きる共通の変化は対照群の前後差として観測されるので、それを処置群の前後差から引けば、残りは施策の効果だけになる — という理屈です。無作為割付ができない政策評価やビジネス施策の検証で、因果推論の定番手法として広く使われています。
制度変更や災害のように「研究者が仕組んだわけではないが、実験のように一部だけに変化が起きた」状況は自然実験と呼ばれ、DIDはその分析の代表的な道具です。この方法論を発展させた実証研究の潮流は、2021年のノーベル経済学賞(カードらの最低賃金研究など)にもつながりました。
なぜ生まれたか
政策の効果を知りたくても、「県民を無作為に分けて片方だけ最低賃金を上げる」ようなランダム化比較試験は現実には実行できません。かといって導入前後の比較だけでは、同時期の景気変動という交絡を排除できず、導入した地域としない地域の比較だけでは、地域間のもともとの違いを排除できませんでした。
突破口になったのが「2方向の差し引きを組み合わせる」発想です。原型は19世紀まで遡り、ロンドンのコレラ研究で知られるジョン・スノウが、水源を切り替えた地区と切り替えなかった地区の死亡率の変化を比べた分析はDIDの先駆けとされます。現代的な確立は1990年代、カードとクルーガーによる最低賃金研究が象徴です。最低賃金を引き上げたニュージャージー州と、隣接して経済環境が似ているペンシルベニア州のファストフード店の雇用を引き上げ前後で比較し、「雇用は減っていない」と示したこの研究は、自然実験というデータの見方と共にDIDを実証分析の標準装備に押し上げました。
詳細
計算の骨格 — 2×2の表と反実仮想
最小構成のDIDは、群(処置/対照)×時点(前/後)の4つの平均値だけで計算できます。処置群の前後差から対照群の前後差を引いた値が効果の推定値です。たとえば施策導入店の売上が100→130(+30)、非導入店が100→120(+20)なら、効果は 30 − 20 = +10 と見積もります。
この引き算が意味を持つのは、「もし施策がなかったら、処置群も対照群と同じだけ変化していたはず」という想定を置いているからです。つまり対照群のトレンドを借りて、処置群の反実仮想(施策なしの世界の姿)を描いている — これがDIDの本質です。
回帰による定式化
実務では4つの平均の引き算ではなく、線形回帰で推定するのが標準です。成果を目的変数とし、「処置群ダミー」「施策後ダミー」、そして両者の積である交互作用項を説明変数に置くと、この交互作用の係数がちょうどDIDの推定値に一致します。回帰の形にすることで、他の共変量による調整、多期間・多群への拡張、標準誤差の適切な計算(同じ地域内の相関を考慮したクラスタ頑健標準誤差など)が自然に行えるようになります。
生命線 — 平行トレンドの仮定
DIDの成否は「施策がなければ、処置群と対照群は同じトレンドで推移した」という平行トレンドの仮定にかかっています。この仮定そのものは反実仮想に関する主張なので直接検証できませんが、傍証は示せます。定番は導入前の複数期間で2群のトレンドが平行だったかを確認することで、導入前から乖離していたなら仮定は信じがたくなります。導入前だけ揃えばよいという点が重要です。2群の水準(絶対値)が違うこと自体は問題になりません。水準の差は最初の引き算で消えるからです。
仮定が崩れる典型例には注意が必要です。処置群だけに影響する別の出来事が同時期に起きた場合、効果とその出来事の影響を区別できません。また、施策の対象が「直前に成果が落ち込んだ群」として選ばれた場合、落ち込みからの自然な回復(平均への回帰)を効果と誤認します。これはアシェンフェルターのディップとして知られる罠です。さらに施策の影響が対照群にも波及する場合(隣県への買い物流出など)は、対照群が「施策なしの世界」を代表しなくなり、効果を過大・過小に見積もります。
使いどころと発展
DIDが向いているのは、施策の導入時点が明確で、処置群と似た推移を示す対照群が見つかり、前後の期間のデータが揃っている場面です。政策評価のほか、ビジネスでも「一部店舗のみの施策」「特定地域限定のキャンペーン」の検証に使えます。A/Bテストのような無作為化ができないが、時系列の比較対象はある — その隙間を埋める手法です。近年は、導入時期が群ごとにずれる場合の推定の歪みを修正する新しい推定量や、対照群の重み付き合成で処置群そっくりの比較対象を作る合成コントロール法など、拡張が活発に研究されています。また、平行トレンドさえ疑わしい場面では、操作変数法や傾向スコアなど別の仮定に立つ手法との併用・比較で結論の頑健さを確かめます。
