ミクロ経済●○○○○

希少性

Scarcity ・ きしょうせい

欲しい量に対して資源が足りないという、経済学の出発点。量の多さではなく欲しい量との比で決まる

✦ 30秒で試す — 航海砂漠の砂はタダなのに、ビルを建てる砂は奪い合いになる経済学でいう「希少」なのは、どちら?予想してみる

概要

希少性とは、「人間の欲しいものには際限がないのに、それを満たす資源は有限である」という、私たちの世界の根本的な条件を指す言葉です。時間、お金、土地、人手、原材料 — 何かを手に入れるために使えるものは、必ずどこかで足りなくなります。もしあらゆるものが空気のように無尽蔵にあれば、値段も節約も選択も要らなくなります。逆に言えば、値段が付くもの・奪い合いが起きるもの・我慢が必要なものはすべて、希少だからこそそうなっているのです。値段が足りないものを誰に回すかを決める働きは、価格メカニズムと呼ばれます。

注意したいのは、希少性は「絶対量が少ない」という意味ではないことです。ダイヤモンドが希少なのは量が少ないからだけではなく、「欲しい量に対して」足りないからです。逆に、砂漠の砂はいくら大量にあっても、欲しい人がいなければ希少ではありません。希少かどうかは、欲しい量と在る量の相対的なバランスで決まります。だからこそ、かつてタダ同然だったきれいな水や静かな環境も、欲しい人が増えれば希少な資源に変わります。

経済学はしばしば「希少な資源の配分を研究する学問」と定義されます。誰が何をどれだけ使うべきか、という配分の問題は、資源が有限である限り消えません。この意味で希少性は、市場も価格もインセンティブも、経済学のあらゆる語彙が生まれてくる出発点です。

なぜ生まれたか

「資源が足りない」こと自体は人類の歴史とともにある事実ですが、それを学問の出発点に据える発想には転換点がありました。18〜19世紀の経済学は「国を富ませるにはどうするか」「モノの価値はどこから来るか」を主題にし、経済学とは富の学問だと考えられていました。これを組み替えたのが、イギリスの経済学者ライオネル・ロビンズの『経済学の本質と意義』(1932年)です。ロビンズは経済学を「さまざまな用途を持つ希少な手段と、目的とのあいだの関係としての人間行動を研究する学問」と定義し直しました。

この定義で視界が一変します。パンの値段も、国家の予算も、あなたが今晩の1時間を勉強に使うか動画に使うかも、すべて「有限な手段を競合する複数の目的にどう割り当てるか」という同じ構造の問題として扱えるようになったのです。経済学の対象は「お金や富」という領域ではなく、「希少性のもとでの選択」という視点そのものになりました。市場での取引は、その選択の一つの舞台にすぎません。

この抽象化が強力なのは、「配分の問題は豊かになっても消えない」ことを明らかにした点です。技術が進歩して食料が余るほど作れるようになっても、人々の欲しいものは健康・娯楽・地位・時間へと広がり、新しい希少性が次々に生まれます。21世紀には、希少性が人の心に何をするかも研究されるようになりました。行動経済学者のセンディル・ムッライナタンとエルダー・シャフィールは『いつも「時間がない」あなたに』(原著2013年)で、お金や時間が足りない状態に置かれた人は、足りないものに注意を奪われて判断の余裕(認知の帯域)が狭まり、目先の問題に追われて長期の計画を立てにくくなることを示しました。希少性は外の世界の条件であると同時に、選ぶ人の頭の中の条件でもあるのです。

詳細

希少かどうかは「欲しい量との比」で決まる

希少性を量の大小と取り違えると、判断を誤ります。サハラ砂漠には砂が無尽蔵にありますが、世界ではコンクリート用の砂が不足しています。砂漠の砂は風で丸く磨かれていて、粒どうしがかみ合わずコンクリートの骨材に向かないからです。砂漠の国ドバイが高層ビルを建てるために砂を輸入してきたのは、この「用途に対して足りるかどうか」という希少性のあり方をよく表しています。

砂漠の真ん中の砂コンクリート用の川砂在る量欲しい量在る量欲しい量足りない分欲しい量 < 在る量 → 自由財(値段が付かない)欲しい量 > 在る量 → 希少(値段が付く)
同じ砂でも、希少になるかは欲しい量しだい — 欲しい量が在る量を下回れば自由財(値段が付かない)、上回れば希少財(値段が付く)

同じことは身近な資源にも言えます。深夜の郊外の道路なら駐車スペースはいくらでもありますが、平日昼の駅前では足りずに料金が取られます。電波の周波数帯は、無線通信が生まれる前は誰も欲しがらない自由財でしたが、携帯電話の普及で最も希少な資源の一つになり、多くの国で競売(オークション)で割り当てられています。自由財と希少財の境目は、物の性質ではなく、欲しい量と在る量のバランスで動くのです。

希少性が「選択」を強制し、選択が「費用」を生む

資源が有限である以上、何かを選ぶことは別の何かを諦めることです。1万円をコンサートに使えば、その1万円で買えたはずの他のものは手に入りません。国家が予算を防衛に回せば、教育や医療に回せた分は減ります。この「選ばれなかった選択肢のうち最善のものの価値」が機会費用であり、希少性から論理的に導かれる、経済学で最初に身につけるべき費用の考え方です。社会全体で見ると、有限な人手と技術で作れる組み合わせの限界は「生産可能性フロンティア」という曲線になり、その上を動くことが「何かを増やせば何かが減る」トレードオフです(機会費用の記事で、働き手を動かしながら確かめられます)。

無限の欲望もっと良い暮らし・時間・健康…有限の資源時間・お金・土地・労働・原材料ギャップ希少性欲しい量に対して足りない選択の強制何かを選び何かを諦める機会費用諦めた最善の選択肢の価値配分の仕組み市場・価格・計画・ルール
希少性が経済学のすべての問いを生む — 無限の欲望と有限の資源のギャップが選択を強制する

誰にどう配分するか — 希少性への3つの答え

希少な資源を配分する方法は、大きく3つに分けられます。第一は価格による配分です。市場で需要と供給がぶつかり、高い価値を見出す人ほど高く払うことで資源が割り当てられます。この価格メカニズムは、誰も全体を指揮しないのに配分が調整される点で強力です。第二は権威による配分で、政府や組織が計画・規則・順番待ちで割り当てます。医療の緊急度によるトリアージや、災害時の配給がこれにあたります。第三は慣習や運による配分で、先着順、抽選、家族内の分け合いなどが含まれます。現実の社会はこの3つを組み合わせており、「どの資源をどの方法で配分すべきか」こそが経済政策の論争の中心です。

希少性がないところに経済問題はない

逆方向から見ると、希少性の概念は「なぜ空気に値段がないのか」を説明します。誰もが欲しいだけ使えるものは、配分を争う必要がないため価格が付きません。しかしこの境界線は動きます。都市の駐車スペース、通信の周波数帯、大気の「汚染を吸収する能力」— かつて自由財だったものが、利用の増加によって希少財に変わった例は数多くあります。誰のものでもない希少な資源が奪い合いで枯渇する共有地の悲劇は、希少になったのに配分の仕組みが追いついていないときに起きる典型的な失敗です。二酸化炭素の排出枠に値段を付ける仕組みは、「大気の吸収能力」が希少財になったことを制度に反映させる試みだと言えます。

実務・生活での視点 — 「足りない」を直視する思考法

希少性のレンズは、日常の意思決定をクリアにします。「あれもこれもやる」という計画が破綻するのは、時間という資源の希少性を無視しているからです。企業の戦略論で「何をやらないかを決めるのが戦略だ」と言われるのも、経営資源の希少性の言い換えです。また、「無料」のサービスにも注意が向きます。金銭の価格がゼロでも、あなたの時間と注意力という希少資源が対価として支払われているからです。何かが「タダで手に入る」ように見えたら、どの希少資源が実際には消費されているのかを問う — これが希少性という概念が与えてくれる、最も実用的な習慣です。

ムッライナタンとシャフィールの研究は、もう一つの教訓を加えます。締め切りに追われる人や家計が苦しい人が目先の対処に追われて判断を誤りやすいのは、本人の性格や能力のせいではなく、希少性そのものが判断の余裕を奪うからかもしれない、という見方です。そう考えると、手続きを簡単にする、支払いの期日を柔軟にするといった「余裕を作る」制度設計が、貧困対策や働き方の改善で意味を持つ理由が見えてきます。

試問

同じ種類の資源でも、置かれた状況で希少かどうかが変わります。

✦ 命題挑戦中

それぞれの状況の資源を、希少な資源と、希少でない自由財に仕分けよ

希少欲しい量に対して足りない
希少でない(自由財)欲しいだけ使える

項目を選んでから、入れる箱を選びます