預金保険
Deposit Insurance ・ よきんほけん
銀行が破綻しても預金を一定額まで守る制度。取り付けの連鎖を断つ防波堤
概要
預金保険は、銀行が破綻しても預金者のお金を一定額まで公的に保証する制度です。日本では預金保険機構がこの役割を担い、1つの銀行につき預金者1人あたり元本1,000万円とその利息までが保護されます(いわゆる「ペイオフ」)。銀行は預金残高に応じた保険料をあらかじめ機構に納めており、万一の破綻時にはその積立から預金者への払い戻しが行われます。
一見すると地味な「もしものための保険」ですが、この制度の本当の狙いは、破綻後の後始末よりも破綻の連鎖を未然に防ぐことにあります。「銀行が潰れても自分の預金は戻ってくる」と誰もが信じていれば、不安に駆られて我先に預金を引き出す取り付け騒ぎがそもそも起きにくくなるからです。預金保険は、使われないことこそが最大の成果である、という珍しいタイプの制度です。
なぜ生まれたか
銀行は預金の大部分を貸し出しに回しているため、預金者が一斉に払い戻しを求めると、健全な銀行でも手元の現金が尽きて倒れてしまいます。しかも「あの銀行が危ないらしい」という噂だけで引き出しの列ができ、その列を見た人がさらに列に加わる — 取り付けは自己実現的に広がります。1930年代初頭のアメリカでは、大恐慌のなかでこの連鎖が制御不能になり、数年間で9,000行以上の銀行が消滅しました。銀行が倒れるたびに預金という貨幣が消え、企業への融資が絞られ、不況がさらに深まるという悪循環です。
この苦い経験から、アメリカは1933年に連邦預金保険公社(FDIC)を設立しました。効果は劇的で、それまで年間数千件だった銀行破綻は翌年からほぼ止まりました。預金が保証された瞬間、「他の人より先に引き出さなければ損をする」という取り付けの動機そのものが消えたのです。経済学ではこれを、ダイアモンドとディブビグのモデルが示したように「取り付けという悪い均衡を制度の力で消去した」と説明します。日本の預金保険機構(1971年設立)をはじめ、現在では世界の大半の国が同様の制度を備えています。
詳細
パニックの回路をどこで断つか
預金保険の核心は、預金者の頭の中にある「早い者勝ち」の計算を書き換えることです。保証がない世界では、銀行の経営が本当に危ないかどうかにかかわらず、「他の預金者が引き出すなら自分も急ぐべきだ」という判断が個人にとって合理的になってしまいます。保証がある世界では、たとえ銀行が破綻しても保護限度内の預金は戻ってくるので、列に並ぶ理由がありません。個々人の合理的な行動が全体の破滅を招く構造を、ルールの変更によって解体しているわけです。
保護の中身 — 日本の制度を例に
日本の預金保険は、対象と限度が細かく設計されています。普通預金や定期預金は、1金融機関につき預金者1人あたり「元本1,000万円までとその利息」が保護されます。一方、利息の付かない決済用預金(当座預金など)は金額の上限なく全額保護されます。企業の給与振込や取引決済が破綻の巻き添えになると実体経済への打撃が大きいためです。逆に、外貨預金や投資信託などはそもそも保護の対象外です。「銀行の窓口で買ったから安全」とは限らない点は、生活者にとって重要な落とし穴です。
破綻処理の実務では、預金者に直接お金を払い戻す「ペイオフ方式」よりも、破綻銀行の事業を健全な銀行に引き継がせ、その際に預金保険機構が資金援助を行う「資金援助方式」が多く使われてきました。口座やATMがそのまま使い続けられるため、預金者の混乱が小さくて済むからです。日本でペイオフが実際に発動されたのは、2010年の日本振興銀行の1例だけです。
最大の副作用 — モラルハザード
預金保険には構造的な副作用があります。預金が保証されると、預金者は「この銀行の経営は健全か」を吟味せずに、単に金利の高い銀行へお金を預けるようになります。銀行の側から見れば、リスクの高い貸し出しで高金利を提示しても預金が集まり続けるということです。失敗のツケを保険が肩代わりしてくれる状況では、監視の目が緩み、かえって無謀な行動が増える — これはモラルハザードの典型例で、1980年代アメリカの貯蓄貸付組合(S&L)危機では、手厚い預金保険の下で高リスク投融資に走った組合が大量破綻し、巨額の公的資金投入に至りました。
このため現代の預金保険は、保護に必ず「規律」を組み合わせて設計されます。保護額に上限を設けて大口預金者には監視の動機を残す、銀行のリスクに応じて保険料率を変える(可変保険料率)、そして保険とセットで当局が銀行を検査・監督する、という三点セットです。預金保険は単独の保険商品ではなく、中央銀行による監督や危機時の資金供給と一体になった、銀行システムのセーフティネットの一部なのです。
限界 — 保証の「外側」から危機は来る
預金保険は万能ではありません。第一に、保護限度を超える大口預金は保証の外にあり、そこから取り付けは起こりえます。2023年に破綻したアメリカのシリコンバレー銀行では、預金の9割以上が保護限度超の法人預金で、スマートフォン経由の送金によって1日で預金の4分の1が流出するという、行列なきデジタル取り付けが発生しました。第二に、保険基金の規模には限りがあり、システム全体を揺るがす金融危機では、預金保険だけでは支えきれず、中央銀行が最後の貸し手として登場することになります。また、保険会社の破綻に備える契約者保護の仕組みなど、保険や証券の分野にも同種のセーフティネットがあり、預金保険はその原型と言える存在です。
