モラルハザード
Moral Hazard ・ もらるはざーど
損失から守られると注意が緩み、事故や無駄が増える。契約の後に見えない行動が歪む情報の失敗
✦ 30秒で試す — 航海全額補償の保険に入ると、なぜか事故が増えていく加入者1人が1年に払う額(保険料+本人負担)は?予想してみる概要
モラルハザードとは、リスクから守られた人の行動が、守られる前より不注意・危険な方向に変わってしまう現象です。盗難保険に入った人が自転車の施錠に無頓着になる、全額会社持ちの経費だと出張のホテル代に糸目を付けなくなる、失敗しても救済されると知った銀行が危険な投資に踏み込む — いずれも、行動の結果を自分が全部は引き受けなくてよくなった瞬間に、注意や努力の水準が下がるという同じ構造を持っています。
日本語では「倫理の欠如」と訳されがちですが、これはよくある誤解です。モラルハザードは悪人の背徳ではなく、普通の人が置かれたインセンティブにごく自然に反応した結果を指す経済学の用語です。問題の根は道徳心ではなく、契約の後の行動を相手が観察できないという情報の非対称性にあります。保険会社は加入者が毎晩きちんと施錠しているかを見張れませんし、株主は経営者が本気で働いているかを逐一確かめられません。観察できない行動の結果を他人が負担する — この構造がある限り、聖人でない普通の人の行動は歪みます。
なぜ生まれたか
モラルハザードという言葉は、逆選抜と同じく保険業界の実務から生まれました。19世紀の火災保険会社は、保険を掛けた建物ほど火事になりやすいことに気づいていました。放火のような犯罪だけでなく、火の始末への注意が緩むだけでも事故率は上がります。保険とは本来リスクを引き受けて安心を売る商売なのに、安心を売ると顧客の行動が変わってリスクそのものが増えてしまう — この自己矛盾は、保険料の計算を過去の統計だけに頼れなくする厄介な問題でした。
これが経済学の中心概念になったのは1960年代です。ケネス・アローは1963年の医療の経済学の論文で、保険が医療の使い方そのものを変えてしまうことを論じました。マーク・ポーリーは1968年、「これは倫理の問題ではなく、値段がゼロになれば多く使うという合理的な経済行動だ」と指摘します。1970年代にはベングト・ホルムストロームらが、「依頼人(プリンシパル)が代理人(エージェント)の行動を観察できないとき、報酬や契約をどう設計すべきか」というプリンシパル・エージェント理論にまとめました(ホルムストロームは2016年にノーベル経済学賞)。この枠組みによって、保険の免責額も、株式で報酬を払うストックオプションも、成果報酬も、すべて「見えない行動を契約でどう規律づけるか」という同じ問題への答えとして理解できるようになりました。
詳細
構造 — 行動が見えず、損失を自分が負わない
モラルハザードが起きる条件は2つです。第一に、当事者の行動(注意、努力、リスクの取り方)を相手が観察・検証できないこと。第二に、行動の結果生じる損失の一部または全部を、行動した本人ではなく相手が負担することです。この2つが揃うと、注意のコスト(手間)は自分持ちなのに、注意の便益(損失の回避)は他人に流れるというずれが生まれ、合理的な人は注意を減らします。
逆選抜との区別は時間軸で付けられます。逆選抜は契約前からある隠れた性質(もともとリスクの高い人が集まる)の問題で、モラルハザードは契約後に生じる隠れた行動(契約したせいで行動が変わる)の問題です。保険会社は加入審査で逆選抜と、自己負担の設計でモラルハザードと、同じ商品の前後で2つの違う敵と戦っています。
数字で見る — 保障を厚くすると事故が増える
事故1回の損失が100万円で、何も注意しなければ年30%の確率で事故が起きるとします。注意すれば確率は下げられますが、注意には手間がかかります。損失を全額保険が払うなら、手間をかけて事故を防いでも得をするのは保険会社だけなので、加入者は注意しません。事故の確率は30%のまま、1人あたりの保険料は年30万円です。本人負担を3割にすると、事故を防げば1回あたり30万円の得が本人に戻るので、手間の軽い人から注意を払い始め、事故の確率が下がって保険料も下がります。
それなら全額を本人負担にすればよいかというと、そうはいきません。事故が起きたときの100万円を丸ごと抱えるのは、多くの人にとって大きな不安です。そもそもこの不安を消すために保険に入るのでした。保障を厚くすれば不安は消えるが注意が緩み、薄くすれば注意は戻るが不安が膨らむ — 最適な契約はその中間にあります。
下の部品で確かめてください。上の棒の分担の線をつかんで動かすと、24人の注意(明るさ)が変わり、事故が起きるたびに朱の粒が保険料のプールに落ちます。下の棒の長さが、保険料・自己負担・注意の手間・不安を合わせた1人あたりの負担です。
上の棒は、事故1回の損失100万円の分け方です。分担の線をつかんで左右に動かすと、24人の注意(明るさ)と事故の起きやすさが変わります。
上=事故1回の損失の分け方(緑青=本人、金=保険)。24人の明るさ=注意の度合い。事故が起きると朱の粒が保険料のプールへ落ちる。下の棒=1人あたりの負担の合計(短いほど良い)
この理屈は実証でも確かめられています。米国のランド医療保険実験(1974〜1982年)は、約2,000世帯・約5,800人を無作為に自己負担率の違う保険に割り振りました。自己負担のある人は、無料の人より医療の利用が3割ほど少なく、それでいて平均的な参加者の健康状態にはほとんど差がありませんでした(ただし低所得で持病のある人では、血圧の管理などに悪影響が見られました)。「タダなら多く使う」は、倫理の話ではなく値段への反応なのです。
保険・雇用・企業統治 — 現れる場所
最も古典的な舞台は保険です。医療費が全額保険でまかなわれるなら、患者にも医師にも過剰な検査や投薬を控える理由が薄れ、医療費は膨らみます。日本の公的医療保険の窓口負担が原則3割なのは、この歯止めの意味もあります(年齢で変わり、70〜74歳は原則2割、75歳以上は所得に応じて1〜3割、小学校入学前は2割です)。次に雇用関係です。固定給の従業員の努力は上司から完全には見えないため、怠けても給料は変わらないという構造が手抜きの誘因になります。成果報酬はこの問題への答えの一つです(インセンティブ)。そして企業統治です。株主(依頼人)は経営者(代理人)を日々は監視できないため、経営者は自分の帝国づくりや保身に走りえます。株式を通じた所有と経営の分離は、その便利さと引き換えに、大きなモラルハザードの構造を抱えています。
金融の世界では、モラルハザードは一国の危機に発展する規模を持ちます。預金保険で預金者が守られると、預金者は銀行の経営の健全さを吟味せず、金利の高さだけで銀行を選ぶようになり、銀行の側も危険な運用に傾きやすくなります。さらに「大きすぎて潰せない」銀行は、失敗しても中央銀行や政府が最後の貸し手として救ってくれると見込めるので、「利益は自分のもの、損失は納税者持ち」という賭けに合理的に踏み込めます。2008年の金融危機の後、米国のドッド=フランク法(2010年)や銀行の国際的な自己資本規制(バーゼルIII)が強化されたのは、この救済への期待が生むモラルハザードへの反省からでした。
対策 — リスクの一部を本人に残す
モラルハザードを完全に消すことはできませんが、和らげる定石はあります。核となる発想は「損失の一部を必ず本人に残す」ことです。保険の免責額(一定額までは自己負担)や医療費の窓口負担は、不注意のコストの一部を本人に返して注意を保たせる仕組みです。雇用では成果連動の報酬やストックオプションが、銀行では自己資本規制 — 自分の資本を厚く積ませて借入によるレバレッジを抑え、損失の最初の引き受け手にする — が同じ原理で働きます。もう一つの定石は監視(モニタリング)の強化です。監査、査定、運転データを測って保険料に反映する自動車保険(テレマティクス保険)は、観察できなかった行動を観察できるようにして、問題の根を直接細らせます。
落とし穴 — 対策のコストと、保護をやめられない理由
実務上の落とし穴は2つあります。第一に、対策は必ず別のコストを生みます。自己負担を重くしすぎれば、保険本来の安心という価値が失われ、必要な受診まで控えられます。成果報酬を強くしすぎれば、測れる指標だけを追う歪み(数字づくり、短期主義)を招きます。部品で見たとおり、リスクの分担と保険の機能はトレードオフで、最適な点は「モラルハザードをゼロにする点」ではありません。
第二に、「モラルハザードを生むから救済すべきでない」という原則は、危機の渦中では貫きにくいことです。銀行を見捨てれば取り付け騒ぎが連鎖し、無関係な預金者や企業まで巻き込まれます。事後的には救済が正しいのに、救済を予期させると事前の行動が歪む — この時間のジレンマこそ、金融規制の設計を難しくしている核心です。
試問
別の24人の加入者です。いまは損失を全額保険が払う契約になっています。
いまは損失を全額保険が払う契約です。上の棒の分担の線をつかんで動かし、加入者全体の負担がいちばん小さくなる所を探してください。
上=事故1回の損失の分け方(緑青=本人、金=保険)。24人の明るさ=注意の度合い。事故が起きると朱の粒が保険料のプールへ落ちる。下の棒=1人あたりの負担の合計(短いほど良い)
