囚人のジレンマ
Prisoner's Dilemma ・ しゅうじんのじれんま
各自が合理的に動くと全員が損をする構造。繰り返しと報復と寛容が協力を育てる条件を示す
✦ 30秒で試す — 航海裏切られたら必ずやり返す。その正しさが、誤解ひとつで泥沼を生む手違いのある世界で、しっぺ返しより点を稼げるのは?予想してみる概要
囚人のジレンマは、ゲーム理論で最も有名なモデルです。共犯の疑いで捕まった2人の囚人が、別々の部屋で取調べを受けます。2人とも黙秘すれば証拠不十分で軽い刑(懲役1年)で済みます。しかし検事は取引を持ちかけます — 「相手を裏切って自白すれば、お前は釈放だ。ただし相手だけが自白したら、お前は懲役10年だ」。2人とも自白すれば、そろって懲役5年です。相談できない2人は、どうするでしょうか。
損得を冷静に計算すると、恐ろしい結論が出ます。相手が黙秘するなら、自分は自白したほうが得です(1年より釈放)。相手が自白するなら、やはり自白したほうが得です(10年より5年)。相手がどう出ても自白が得なので、合理的な2人はそろって自白し、そろって懲役5年になります。2人とも黙秘していれば1年で済んだのに、です。「一人ひとりが自分にとって最善の選択をした結果、全員が損をする」— この構造は取調室に限りません。寡占企業の価格競争、軍拡競争、共有地の悲劇のような環境破壊など、社会のいたるところに潜んでいます。
なぜ生まれたか
アダム・スミス以来の経済学には、各自が自己利益を追求すれば見えざる手に導かれて社会全体もうまくいく、という強い直観がありました。しかし現実には、皆が自分の利益だけを考えた結果、全員が望まない状態に落ち込む現象が繰り返し観察されます。抜け出せない寡占企業の値下げ合戦、共有地の悲劇として知られる枯渇する漁場、止まらない軍拡。この「自己利益の追求が裏目に出る」現象を、偶然や愚かさではなく論理の必然として説明する道具が必要でした。
囚人のジレンマは1950年、米国のシンクタンクRAND研究所のメリル・フラッドとメルビン・ドレシャーが実験として考案し、プリンストン大学の数学者アルバート・タッカーが講演のために囚人の逸話に仕立てて広めました。米ソ冷戦の初期で、「両国とも軍縮すれば楽になるのに、相手の裏切りを恐れて両国とも軍拡を続ける」という現実とぴったり重なったことが、このモデルの重要性を際立たせます。わずか2人・2択の最小のゲームで「合理性が協力を壊す」仕組みを示したことで、市場がうまく働かない場面 — 市場の失敗 — を分析するための、経済学で最も引用されるモデルの1つになりました。
詳細
利得行列で構造を読む
囚人のジレンマの構造は、2人の選択の組み合わせごとの損得を並べた利得行列で一望できます。ポイントは、どちらにとっても「裏切り(自白)」が支配戦略、つまり相手の選択がどちらでも自分の結果が良くなる戦略になっていることです。
どのマスから出発しても、各自が自分だけ得になる方向へ動くと右下(両者自白)に吸い寄せられます。両者自白は、誰も一人だけ手を変えても得をしない状態、つまりこのゲームの唯一のナッシュ均衡です。左上(両者黙秘)のほうが2人にとって明らかに良いのに、そこに留まる力は働きません。均衡と全体の最適が食い違う — これがジレンマの正体です。
経済学では、懲役の年数の代わりに得点で書くのが普通です。相互協力 R=3、相互裏切り P=1、裏切り勝ち T=5、裏切られ S=0 のように、T > R > P > S の順になっていれば、どんな数字でも同じジレンマになります。さらに 2R > T + S(交互に裏切り合うより協力し続けるほうが得)という条件を置くのが標準です。
社会のいたるところにある同じ構造
登場人物を入れ替えると、このモデルは驚くほど多くの現実を説明します。寡占市場の2社にとって「黙秘」は高価格の維持、「自白」は値下げです。両社が価格を保てば利益を分け合えますが、相手だけが値下げすればシェアを奪われるため、互いに値下げに走り、両社とも利益を失います(消費者にとっては朗報である点が、囚人の話と違うところです)。国家間の軍拡、広告合戦、法人税の引き下げ競争も同じ形です。共有の漁場で「控えめに獲る」か「獲れるだけ獲る」かを選ぶ状況は、プレイヤーを多数に増やすと共有地の悲劇になります。費用を負担せずに便益だけ受け取るただ乗りが起きる公共財の問題も、同じ構造の親戚です。大事なのは、これらの結果が当事者の強欲や愚かさのせいではなく、インセンティブの構造そのものから生まれている、という見方です。
繰り返しが協力を生む — しっぺ返しと、その弱点
では協力は絶望的なのでしょうか。鍵は「同じ相手と何度も対戦するか」にあります。一回限りなら裏切りが支配戦略ですが、繰り返されるなら「今回裏切れば、次回以降に報復される」という将来の影が働きます。
ただし、回数が決まっていて双方が知っている場合は別です。最終回には次がないので裏切りが得になります。それを読めば最後から2回目も裏切りが得になり……と後ろ向き帰納法で考えると、1回目から裏切ることになってしまいます。協力が理屈の上で成り立つのは、いつ終わるか分からない(次がある確率が十分高い)繰り返しのときです。このとき、将来を十分重視するプレイヤーの間では協力を含む多くの結果が均衡として支えられることが知られており、これをフォーク定理と呼びます(「昔から皆が知っていた」という意味の名前です)。
政治学者ロバート・アクセルロッドは1980年、繰り返し囚人のジレンマの戦略プログラムを研究者から募り、コンピュータ上で総当たりの大会を2回開きました。どちらの大会でも優勝したのは、最も単純な部類の「しっぺ返し(Tit for Tat)」です。初回は協力し、以降は相手の前回の手をそのまま返します。協力から入り、裏切りにはすぐ報復し、相手が協力に戻れば水に流す。結果は1984年の著書『つきあい方の科学』にまとめられ、血縁も契約もないところに協力が芽生える仕組みとして、生物の進化や国際政治の研究にまで影響を与えました。
ところが、しっぺ返しには弱点があります。手の取り違えや誤解(ノイズ)です。しっぺ返し同士の対戦で、一方が1回だけ誤って裏切ると、何が起きるかを追ってみます。
1回の誤りが報復の応酬を生み、しっぺ返し同士は自分からは相互協力に戻れません。そこでノイズのある世界では、裏切られてもときどき許す「寛容なしっぺ返し」(ノワクとシグムント、1992年)や、「得をしたら同じ手を続け、損をしたら手を変える」パブロフ戦略(同、1993年)のほうが強くなることが分かっています。下の部品で確かめてください。戦略カードを組み立てると、あなたの戦略が5つの定番戦略と総当たりで対戦し、得点の高い戦略ほど次の世代に増えていきます。下の帯には、しっぺ返しとの1試合の手の並びが出ます。
いまのカードはしっぺ返しと同じです。下の帯を見てください。手の取り違え(◯)で1回裏切りが出ると、しっぺ返し同士は報復の応酬をいつまでも続けます。カードを組み替えてみましょう。
上: 6つの戦略が総当たりで100回ずつ対戦し、得点の高い戦略ほど次の世代に増える(40世代)。帯の太さ=個体数の割合。下: あなたとしっぺ返しの1試合(緑=協力、朱=裏切り、輪=手の取り違え)。得点は相互協力3・相互裏切り1・裏切り勝ち5・裏切られ0
「いつも裏切り」は、お人好しが残っているうちは稼げますが、お人好しが食い尽くされると報復型ばかりが残り、稼ぎ場を失います。「いつも協力」は裏切り屋の餌になります。協力が育つのは、繰り返しがあり、裏切りには報復し、それでいて誤りは許す戦略が多数派になったときです。
構造を変える — 制度によるジレンマの解消
もう1つの解決の方向は、ゲームの利得の構造そのものを外から変えることです。マフィアの掟が「自白した者への制裁」を約束すれば、自白の利得が下がって黙秘が成り立ちます(皮肉なことに、裏社会による見事な制度設計です)。社会に目を戻せば、拘束力のある契約と裁判所、カルテルを禁じる独占禁止法、乱獲を防ぐ漁獲枠、査察付きの軍縮条約は、どれも「裏切りのコストを引き上げ、協力を各自の合理的な選択にする」仕掛けです。ネット通販のレビューや信用情報のような評判の仕組みは、一回限りの取引を繰り返しゲームに変え、自分の信頼性を伝えるシグナリングの場にもなります。
逆向きの注意もあります。企業同士の協力は、消費者にとってはカルテル(談合)です。繰り返しの取引で「値下げしたら報復する」という暗黙の了解が生まれると、法的な合意がなくても高価格が続きます(暗黙の協調)。独占禁止法の当局が、入札の結果の不自然なそろい方や、値上げのタイミングの一致に目を光らせるのはこのためです。協力が社会にとって良いかどうかは、誰と誰の協力かによります。
囚人のジレンマを学ぶ実益はここにあります。協力が生まれない現場で人の善意に訴える前に、利得の構造を疑い、構造の方を設計し直す — そういう発想が持てるようになるのです。
試問
手の取り違えが5%ある世界です。あなたのカードは、いまはしっぺ返しと同じになっています。
いまのカードはしっぺ返しと同じです。下の帯を見てください。手の取り違え(◯)で1回裏切りが出ると、しっぺ返し同士は報復の応酬をいつまでも続けます。カードを組み替えてみましょう。
上: 6つの戦略が総当たりで100回ずつ対戦し、得点の高い戦略ほど次の世代に増える(40世代)。帯の太さ=個体数の割合。下: あなたとしっぺ返しの1試合(緑=協力、朱=裏切り、輪=手の取り違え)。得点は相互協力3・相互裏切り1・裏切り勝ち5・裏切られ0
