t分布
t-Distribution ・ てぃーぶんぷ
標本が小さいときの平均の推測に使う、正規分布より裾の厚い分布
✦ 30秒で試す — 航海3人のデータで正規分布の基準を使うと、「有意」を出しすぎるsで割ると、±1.96の外に出る割合は?予想してみる概要
t分布は、標本サイズが小さいときに平均の推測に使う確率分布です。形は正規分布によく似た左右対称の釣鐘型ですが、山がやや低く、裾が厚い — つまり「平均から大きく外れた値」が正規分布より起こりやすい形をしています。発表時のペンネームにちなんで「スチューデントのt分布」とも呼ばれます。
t分布の形を決めるパラメータは「自由度」と呼ばれる1つの数だけで、1標本の平均を扱う場面では「標本サイズ − 1」になります。自由度が小さい(=標本が少ない)ほど裾が厚くなり、自由度が大きくなるにつれて正規分布にどんどん近づいていきます。標本が30を超えるあたりから、両者の差は実用上ほとんどなくなります。
「t検定」「t値」という言葉で統計学の入門書に必ず登場するとおり、t分布は信頼区間の計算と仮説検定という推測統計の中核手続きを、現実的な標本サイズで成立させている縁の下の分布です。
なぜ生まれたか
t分布が生まれる前、平均の推測は正規分布に頼っていました。標本平均の誤差の大きさ(標準誤差)は σ/√n で、平均が真の値から「標準誤差の2倍」以上ずれることは5%ほどしかない — この理論には「母集団の標準偏差 σ が分かっている」という前提があります。現実には σ は分からないので、標本から計算した標準偏差 s で代用します。標本が十分大きければ s は σ のよい近似になり問題は起きませんが、標本が数個〜十数個しかないと s 自体が大きくぶれ、正規分布を使った区間や検定は「実際より自信過剰」な結論を出してしまいます。
この問題に正面から向き合ったのが、20世紀初頭、ギネスビール社の技師ウィリアム・ゴセットでした。醸造の品質管理では、大麦や酵母の実験を何百回も繰り返す余裕はなく、標本サイズ4や10で判断を下さなければなりません。ゴセットは「σ の代わりに s を使ったときの統計量は、正規分布ではなく裾の厚い別の分布に従う」ことを導き、1908年に社の規定によりペンネーム「Student」で発表しました。のちにフィッシャーがこれを現在の「t」という形に整理し、2標本の比較や回帰係数の検定にまで広げます。標本の少なさから来る追加の不確かさを、裾の厚さとして分布の形に織り込む — この発明によって、小標本でも誠実な推測が可能になったのです。
詳細
なぜ裾が厚くなるのか — 物差しそのものが揺れる
平均の推測で使う量は、「標本平均と仮説上の平均の差」を「標準誤差」という物差しで測った値です。物差しに真の σ を使えば、この値(z)は正確に標準正規分布に従います。ところが実際に使う物差しは標本から計算した s で、これが標本ごとに伸び縮みします。s が偶然小さく出た回には、同じ差でも「物差し何本分」が大きく測られ、値が外へ飛び出します。s が大きく出た回には内側へ縮みますが、s の分布は右に歪んでいて「かなり小さく出る」ことがあるため、差し引きで外へ飛ぶ効果が勝ち、裾が厚くなるのです。標本が少ないほど s の揺れが大きいので、裾はいっそう厚くなります。
下の部品では、同じ標本から z(真の σ で割る)と t(標本の s で割る)を同時に計算し、上下のヒストグラムに落とします。n = 3 のとき、s が小さく出た回の t が大きく外へ飛ぶ様子と、|値| が2を超える赤い粒の割合の差(理論では自由度2で約18%、正規なら4.6%)を確かめてください。n を30にすると、2つの段はほとんど同じになります。
「1回」で正規分布から n 個を引き、同じ標本から z(真の σ で割る)と t(標本の s で割る)を計算して、それぞれ下の2段に落とします。
上: 引いた n 個の値(μ=0, σ=1 の正規分布から)と標本平均(金の縦線)。中: z = 標本平均 ÷ (σ/√n)。下: t = 標本平均 ÷ (s/√n)。赤 = |値| が 2 を超えたもの
正規分布との形の違い
t分布と標準正規分布を重ねると、違いは中心部と裾に現れます。t分布は山の頂上がやや低く、その分の確率が両裾に配分されています。自由度3のt分布では、平均から2以上離れた値が出る確率は約13.9%で、標準正規分布の4.6%の約3倍あります。この裾の厚さが、標本標準偏差 s のぶれによる追加の不確かさを表現しています。
自由度 — 標本から使える情報の量
t分布の唯一のパラメータである自由度は、直感的には「標本のうち、ばらつきの推定に自由に使える情報の個数」です。標本サイズ n から分散と標準偏差を計算するとき、まず標本平均を求めて使ってしまうため、独立に動ける情報は n − 1 個に減ります(n 個の偏差の合計は必ず0になるので、最後の1個は他から決まってしまう)。これが1標本のt検定で自由度が n − 1 になる理由です。自由度が1や2しかないと裾は極端に厚く(自由度1のt分布はコーシー分布と呼ばれ、平均すら定義できません)、自由度30を超えるとほぼ正規分布とみなせます。「小標本ほど慎重に、大標本なら正規分布と同じでよい」という実務感覚が、自由度という1つの数に集約されています。
t値とt検定 — 使われ方の実際
t分布の実際の使い方は、標準化の応用です。標本平均から仮説上の平均を引き、標準誤差の推定値(標本標準偏差を標本サイズの平方根で割ったもの)で割った値をt値と呼びます。「平均の差が、標本のばらつきから見て何単位ぶん離れているか」を測る量で、母集団が正規分布に従うなら、このt値が自由度 n − 1 のt分布に従います。あとは仮説検定の枠組みどおり、観測されたt値がt分布の裾のどのあたりに落ちるかでp値を求めます。2つのグループの平均を比べる2標本のt検定は、A/Bテストで平均購入額や滞在時間を比べるときなど、実務で最も頻繁に使われる検定のひとつです。
信頼区間の係数として
信頼区間の計算にもt分布は組み込まれています。母標準偏差が既知なら95%信頼区間は「推定値 ± 1.96 × 標準誤差」ですが、σ を標本から推定する現実の場面では 1.96 の代わりにt分布の分位数を使います。標本サイズ5(自由度4)ならこの係数は約2.78 — 正規分布を使った場合より4割も広い区間になります。標本サイズ3(自由度2)なら約4.30で、2倍以上です。標本が少ないほど区間が広がるのは、情報が少ないぶん謙虚になるという、統計的推測のあるべき姿がそのまま数値に表れたものです。
位置づけと注意点
理論上、t分布は「標準正規分布に従う量を、カイ二乗分布に従う量を自由度で割って平方根を取ったもので割ったときに現れる分布」として定義されます。分子が平均の誤差、分母がばらつきの推定に対応しており、正規分布・カイ二乗分布・t分布は推測統計の理論の中で三位一体の関係にあります。
実務上の注意としては、第一に、t検定が守ってくれるのは「σ が未知」という不確かさだけで、母集団の分布が極端に歪んでいる場合や外れ値がある場合の頑健性までは保証しないことです。小標本ではなおさら、検定の前にデータの分布を目で確かめる手順を省かないことが大切です。第二に、2標本の比較で「2群の分散が等しい」と仮定する古典的なt検定(スチューデントのt検定)は、分散も標本サイズも違う群どうしでは誤りの率が狂います。現在は分散の違いを許すウェルチのt検定を既定にするのが一般的です。逆に標本の規模が大きいときにt分布と正規分布の区別に神経質になる必要はありません。区別が効いてくるのは、ゴセットが直面したような「数個〜十数個の標本で判断する」場面なのです。
試問
平均 0・標準偏差 σ = 1 の正規分布から n 個の値を引いて標本平均を作り、真の σ で割った z と、標本から計算した標準偏差 s で割った t を、同じ標本から同時に計算して2段のヒストグラムに落とします(現実には σ は分からないので s で代用します)。標本サイズ n を切り替えても、n ごとの実測の記録は試問の条件に残ります。
「1回」で正規分布から n 個を引き、同じ標本から z(真の σ で割る)と t(標本の s で割る)を計算して、それぞれ下の2段に落とします。
上: 引いた n 個の値(μ=0, σ=1 の正規分布から)と標本平均(金の縦線)。中: z = 標本平均 ÷ (σ/√n)。下: t = 標本平均 ÷ (s/√n)。赤 = |値| が 2 を超えたもの
