マクロ経済●●●●○

ブレトンウッズ体制

Bretton Woods Systemぶれとんうっずたいせい

ドルを金に固定した戦後の国際通貨体制。1971年の崩壊が変動相場の始まり

概要

ブレトンウッズ体制は、第二次世界大戦後の世界経済を支えた国際通貨体制です。1944年7月、まだ戦争が続くさなかに、連合国44か国の代表がアメリカ・ニューハンプシャー州の保養地ブレトンウッズに集まり、戦後の通貨秩序を設計しました。その柱は「米ドルだけを金1オンス=35ドルで交換可能にし、他の各国通貨はドルに対して固定する」という二段構えの仕組みです。金本位制の安定性を、ドルを仲介役にして再現しようとしたことから「金・ドル本位制」とも呼ばれます。

この会議では同時に、体制を支える2つの国際機関 — 短期の資金繰りを支援するIMF(国際通貨基金)と、復興・開発資金を融資する世界銀行 — が創設されました。1ドル=360円という、日本の高度成長期を通じて続いた為替レートも、この体制が定めた固定相場です。体制は約四半世紀にわたり戦後の貿易拡大と経済成長を支えましたが、1971年8月、ニクソン米大統領が突然ドルと金の交換停止を宣言(ニクソンショック)して崩壊し、世界は現在まで続く変動相場制の時代に入りました。

なぜ生まれたか

設計者たちの頭にあったのは、戦間期の悪夢です。1930年代、大恐慌と金本位制の崩壊のあと、各国は自国の輸出を有利にするために為替の切り下げ競争(近隣窮乏化政策)に走り、高関税とブロック経済で市場を囲い込みました。その結果、世界貿易は3分の1に収縮し、経済的な対立が政治的な対立を深めて、第二次世界大戦の一因になったと広く認識されていました。「通貨の無秩序が戦争を招いた。二度と繰り返してはならない」— これが会議の共通認識です。

ブレトンウッズ会議では、イギリス代表のケインズが提案した国際的な決済通貨バンコール構想と、アメリカ代表ホワイトのドル中心案が争われ、圧倒的な経済力と世界の金の大半を握っていたアメリカの案が骨格になりました。固定相場で貿易の予見可能性を確保しつつ、金本位制の硬直性を和らげるために、国際収支の「基礎的な不均衡」がある場合には平価の変更を認め、一時的な資金不足はIMFの融資で乗り切る — 金本位制の教訓を織り込んだ「管理された固定相場制」が、こうして生まれました。自由貿易の再建を担うGATT(後のWTO)と並んで、戦後の国際経済秩序の土台となったのです。

詳細

二段構えの固定 — 金・ドル本位制の構造

体制の構造は明快です。頂点に金があり、金と直接つながるのは米ドルだけ。アメリカは各国の通貨当局に対して金1オンス=35ドルでの交換を保証します。他の国々は自国通貨をドルに対して固定し(変動幅は上下1%以内)、レートを守るために中央銀行がドルの売買で介入します。各国は金の代わりにドルを外貨準備として持てばよいので、世界中に散らばった金をかき集める必要がなく、金本位制よりも柔軟に運営できました。その代わり、体制全体の信認はただ一点 — 「アメリカはいつでもドルを金に換えてくれる」という約束 — に懸かることになります。

最終的な価値の錨米ドル基軸通貨金1オンス=35ドルで兌換交換できるのは米国だけが保証日本円1ドル=360円西独マルクドルに固定英ポンドなどドルに固定各国は上下1%以内に維持するよう介入基礎的不均衡があれば平価の変更も可能
ブレトンウッズ体制の構造 — 金と交換できるのはドルだけ、各国通貨はドルに固定

資本規制という前提 — トリレンマの選択

見落とされがちですが、この体制は自由なマネーの移動を前提としていません。むしろ逆で、各国が国境を越える資本移動を規制することが公式に認められ、推奨すらされていました。投機的な資金の流出入が固定相場を揺さぶった戦間期の教訓から、設計者たちは「貿易のお金は自由に、投機のお金は制限する」と割り切ったのです。国際金融のトリレンマの言葉で言えば、金本位制が捨てた「独立した金融政策」を取り戻すために、「自由な資本移動」を差し出した体制でした。各国が固定相場を守りながら国内の完全雇用政策を追求できたのは、この選択のおかげです。

内在する矛盾 — トリフィンのジレンマ

しかし体制には、設計段階から時限爆弾が埋め込まれていました。世界経済が成長すれば、貿易の決済や外貨準備のために各国はより多くのドルを必要とします。ドルを世界に行き渡らせるには、アメリカが国際収支の赤字を出し続けて(つまり受け取る以上に支払って)ドルを流出させるしかありません。ところがドルが世界に積み上がるほど、アメリカの金保有に対するドル残高の比率は悪化し、「本当に全部を金に換えられるのか」という信認が揺らぎます。流動性の供給と信認の維持が両立しない — 経済学者ロバート・トリフィンが1960年に指摘したこのジレンマは、その後の展開を正確に予言していました。

ニクソンショックと変動相場制への移行

1960年代、ベトナム戦争の戦費と「偉大な社会」政策の財政支出でアメリカのインフレーションが進むと、割高になったドルへの不信から各国は手持ちのドルを金に換え始め、アメリカの金準備は流出の一途をたどりました。1971年8月15日、ニクソン大統領はテレビ演説で金とドルの交換停止を一方的に宣言します。同年12月のスミソニアン合意で各国はレートを調整して固定相場の延命を図りました(円は1ドル=308円に切り上げ)が、ドル売りの圧力は止まらず、1973年までに主要国は相次いで変動相場制へ移行しました。四半世紀続いた体制は、こうして幕を閉じます。

遺産 — 「体制なき基軸通貨」の時代へ

ブレトンウッズ体制は消えましたが、その骨格は現在も残っています。IMFと世界銀行は役割を変えながら存続し、IMFは1990年代以降、通貨危機に陥った国への緊急融資という消防士の役割を担うようになりました。そして興味深いことに、金の裏付けを失ったあともドルは基軸通貨であり続けています。貿易の建値、外貨準備、国際的な資金調達の多くが今もドル建てで行われ、これは条約ではなく「みんなが使うから使う」というネットワーク効果で支えられています。固定相場という制度は死に、ドル基軸という慣性だけが生き残った — 現代の国際金融は、この「体制なき基軸通貨」の上に成り立っているのです。