インフレーション
Inflation ・ いんふれーしょん
物価全体が持続的に上がり、同じお金で買えるものが減っていく現象。貨幣の価値の目減り
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インフレーション(インフレ)は、個別の商品ではなく物価全体が持続的に上がり続ける現象です。裏返せば、貨幣の価値が目減りしていく現象でもあります。去年100円で買えたパンが今年105円になったとき、パンの価値が上がったのではなく、100円というお金で買える量が減った、と見るのがインフレの視点です。キャベツが不作で値上がりするような個別の値動きは需要と供給の話で、インフレは「ほとんどの値札が同じ向きに動き続ける」ことを指します。
物価全体の動きは、家計が買う代表的なモノやサービスの価格を毎月調べた消費者物価指数(CPI)で測るのが一般的で、「インフレ率2%」とはこの指数が1年で2%上がったことを意味します。逆に物価全体が下がり続ける現象はデフレーションと呼ばれ、日本は1990年代末から長くこれに悩まされてきました。
インフレは単なる値札の話ではありません。物価が動くと、預金の実質的な価値、借金の実質的な重さ、賃金の実質的な手取りが、誰も何もしないうちに静かに変わります。インフレは、誰が得をして誰が損をするかを動かす力でもあるのです。
なぜ生まれたか
インフレは制度の発明ではなく、お金を使う経済に付きまとう現象です。ただ、「物価全体が動く」という見方が確立するには、歴史の経験が必要でした。16世紀、アメリカ大陸から大量の銀がスペインに流れ込むと、ヨーロッパ全体で物価が100年以上にわたって上がり続けました(価格革命)。個々の商品の事情では説明できないこの現象から、「世の中に出回る貨幣の量が物価の水準を決めるのではないか」という貨幣数量説の発想が生まれます。18世紀にはヒュームがこの考えを整理し、1911年にアーヴィング・フィッシャーが交換方程式として定式化しました。
この理解が決定的に重要になったのは、政府が紙幣を自由に発行できるようになってからです。金や銀との交換に縛られた金本位制のもとでは、お金の量は金の量で抑えられていました。ところが交換の約束を外した紙のお金は、刷りすぎれば際限なく価値が下がります。第一次世界大戦後のドイツでは、賠償と財政赤字を紙幣の増刷でまかなった結果、大戦前から1923年末までに物価がおよそ1兆倍になるハイパーインフレが起き、札束が薪代わりに燃やされました。物価の安定は放っておいて実現するものではなく、お金の量を規律をもって管理する誰かが必要だ — この教訓が、政府から独立した中央銀行に物価の安定を任せるという現在の制度の土台になっています。
詳細
貨幣数量説 — お金と財の綱引き
インフレの仕組みを最も単純に表すのが、フィッシャーの交換方程式 MV=PY です。M はお金の量、V はお金が1年に何回持ち主を替えるか(流通速度)、P は物価、Y は実質の生産量です。左辺は「1年間に支払われたお金の総額」、右辺は「売られた財の値段×量」で、同じものを両側から数えています。V がおおむね一定なら、お金が財より速く増えるほど物価は上がります。お金が年5%、実質の生産が年2%増えると、物価はおよそ年3%上がります。
この式は短期の物価をきれいに説明するものではありません。流通速度は金融の仕組みや人々の行動で変わりますし、お金を増やしても、それが使われずに銀行に眠れば物価は上がりません。それでも長い目で見れば、お金の量が生産より大幅に速く増え続けた国で、例外なく高いインフレが起きています。
下の部品で確かめてください。お金の蛇口と財の蛇口のつまみを動かして時計を進めると、値札が上がり、利息のつかない預金で買えるものが目減りし、借り手の借金が年収に比べて軽くなっていきます。
左のお金の蛇口の横のつまみを上下させて、毎年お金がどれだけ増えるかを決め、「▶ 動かす」で時計を進めてください。預金の瓶で買えるパンの数を見ていてください。
左=お金の量、右=財の量(どちらも最初を1とした目盛り)。物価はその比で決まる。下の線=物価(最初=100)と、預金100万円を今の値段で測った価値
インフレの2つの発生源
インフレの原因は大きく2系統に分けられます。ひとつはディマンドプル型で、景気が過熱して経済全体の需要が供給能力を上回るときに起こります。総需要・総供給の図で言えば、総需要曲線が右へ動き、物価と生産がともに上がる形です。もうひとつはコストプッシュ型で、原油や穀物の高騰、通貨安による輸入価格の上昇など、作る側の費用が押し上げられて起こります。総供給曲線が上へ動くので、物価は上がるのに生産は減ります。2022年前後に世界を襲ったインフレは、コロナ禍からの需要の急回復と、ロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー・穀物の高騰が重なった、両方の混ざった型でした。
この区別が大事なのは、処方箋が違うからです。需要の過熱によるインフレには金融引き締めがよく効き、物価と過熱を同時に冷やせます。ところがコストプッシュ型に引き締めで応じると、物価は下がっても生産はさらに減ります。放っておけば物価高が続き、冷やせば不況が深まる — 物価高と景気悪化が同時に進むスタグフレーションの板挟みを、1970年代の石油危機のあとの世界が経験しました。
期待とスパイラル — 予想が現実を作る
インフレの厄介さは、いったん始まると自己増殖しうることです。物価が上がると働く人は生活を守るために賃上げを求め、企業は上がった人件費を価格に転嫁し、それがまた賃上げの要求を呼びます。この賃金と物価の循環に、人々の予想が両側から燃料をくべます。
鍵を握るのは、人々が将来の物価をどう予想するか、つまりインフレ期待です。「来年も3%上がる」とみんなが信じれば、賃上げ要求も値上げも先回りで3%を織り込み、予想そのものが3%のインフレを作ります。値上がり前に買っておこうという買い急ぎも需要を押し上げます。逆に、中央銀行が「物価は2%程度に落ち着かせる」と信頼されていれば、一時的な値上がりが起きても予想は動かず、スパイラルは始まりません。現代の中央銀行が物価目標を繰り返し宣言し、言葉で予想を安定させる(アンカーする)ことに力を注ぐのは、このためです。
誰が得をして、誰が損をするか
インフレは富を静かに移し替えます。損をするのは、現金・預金を持つ人と、固定額の収入で暮らす人です。得をするのは借金をしている人で、返す金額は変わらないのに、お金の価値と一緒に借金の実質的な重さが下がります。部品で見た「借金が年収の何年分か」が縮んでいく動きがそれです。最大の借り手である政府は、しばしばインフレの受益者になります。お金を刷って物価を上げることは、国民の手元のお金の価値を削って政府が使うのと同じ効果を持つので、「インフレ税」とも呼ばれます。
この関係を整理するのがフィッシャー方程式、実質金利=名目金利−予想インフレ率です。貸し手と借り手は、契約のときに予想したインフレ率を名目金利に上乗せして取り決めます。予想より高いインフレが起きると貸し手が損をし、予想より低いと借り手が損をします。名目金利1%の預金でも、インフレ率が3%なら、預金者は年2%ずつ購買力を失っています。インフレの局面で預金から株式や不動産へお金が向かいやすいのは、これらが物価と一緒に値上がりしやすいとみなされるからです。
インフレには、再分配のほかにも費用があります。お金を手元に置くほど損をするので、預金を小まめに下ろしたり支払いを急いだりする手間が増えます(銀行へ通う靴がすり減るという意味で靴底コスト)。値札やメニューを書き換える費用(メニューコスト)もかかります。より深刻なのは、物価全体が大きく揺れると、個々の値上がりが「その品が足りない」という知らせなのか、ただのインフレなのかを見分けにくくなり、価格が運ぶ情報が濁ることです。先の見通しが立たないと、長期の契約や投資も控えられます。
なぜ目標はゼロではなく2%なのか
主要国の中央銀行は、インフレ率ゼロではなく、2%程度の緩やかなインフレを目標にしています。最大の理由は、利下げの「のりしろ」を確保するためです。名目金利はゼロより大きくは下げられないので、平時の金利が低すぎると、不況が来たときに下げる余地がありません。2%程度のインフレがあれば、平時の名目金利もそのぶん高くなり、景気が悪化したときに下げる余地が残ります。第二に、CPIには品質の向上や乗り換えを捉えきれず物価上昇を高めに測る癖があり(推計で年0.5〜1ポイント程度)、測定上のゼロは実際には小さなデフレかもしれないからです。第三に、名目賃金には下げにくい性質(下方硬直性)があるので、緩やかなインフレがあったほうが、実質賃金の調整が滑らかに進みます。
日本は長くこの2%に届きませんでしたが、2022年春からは円安と資源高、2025年には米価の高騰も加わり、生鮮食品を除くCPIの前年比は2025年12月まで45か月続けて2%以上になりました。これを受けて日本銀行は2024年3月にマイナス金利を解除し、その後も段階的に利上げを重ねて、2026年9月には政策金利を1.25%まで引き上げています。ゼロ金利の時代に失われていた「のりしろ」を取り戻す過程と見ることができます。インフレは退治すべき病であると同時に、少量なら経済の潤滑油でもあります。そのさじ加減をどう取るかが、金融政策の中心的な仕事です。
試問
インフレは、お金の価値を少しずつ、しかし確実に削ります。年3%のインフレが20年続いたとき、今の100万円の現金は、20年後の値段でどれだけのものを買えるでしょうか。見積もってから、上の部品で確かめてください(お金の蛇口を年3%、財の蛇口を0%にして20年すすめます)。
年3%のインフレが20年続くとき、今の100万円の現金で買える量は、今の値段で何万円分になるかを見積もれ
20年後に100万円で買える量は、今の値段で何万円分?(5万円刻み)
