GDP
Gross Domestic Product ・ こくないそうせいさん
一国で一定期間に生み出された付加価値の合計。経済の体温計
概要
GDP(国内総生産)は、一つの国の中で一定期間(通常1年または四半期)に新しく生み出された付加価値の合計です。付加価値とは「売上から、他社から買った原材料や部品の代金を差し引いた、その生産者が新たに付け加えた価値」のこと。パン屋の売上をそのまま足すと、小麦農家と製粉所の売上を二重三重に数えてしまうため、各段階の「上乗せ分」だけを拾って合計します。
ニュースで「経済成長率2%」と言うとき、それはGDPが前の期間より2%増えたという意味です。国の経済の大きさを測る共通の物差しであり、政府の景気対策や中央銀行の金融政策は、この数字の動きを見ながら判断されます。「経済の体温計」と呼ばれるゆえんです。
なお「国内」という言葉のとおり、GDPは場所で区切ります。日本国内で外国企業が生み出した価値は日本のGDPに入り、日本企業が海外工場で生み出した価値は入りません。グローバル化で企業の国籍と生産の場所がずれた現代では、「その国の領土内の経済活動」を測るこの区切り方が主流になっています。
なぜ生まれたか
1930年代の大恐慌のさなか、アメリカ政府は深刻な問題に直面していました。経済が「どれくらい悪いのか」を測る物差しが存在しなかったのです。手元にあるのは株価や貨物輸送量、鉄鋼生産量といった断片的な指標だけで、経済全体がどれだけ縮んだのか、対策にどれだけの規模が必要なのかを誰も数字で語れませんでした。
そこで経済学者サイモン・クズネッツが議会の依頼を受け、国全体の所得を体系的に集計する方法を開発し、1934年に最初の国民所得統計を報告します。この物差しは第二次世界大戦で「戦時動員に回せる生産力はどれだけあるか」を測る道具として磨かれ、戦後は国連が国民経済計算(SNA)として国際基準化しました。今日ほぼすべての国が同じルールでGDPを測り、国どうしの比較や時系列の比較ができるのは、この標準化の成果です。興味深いことに、開発者のクズネッツ自身が「国民の福祉はこの数字では測れない」と警告していました。この論点は後で触れます。
詳細
三面等価 — 生産・分配・支出は同じ額になる
GDPの最も美しい性質が「三面等価の原則」です。同じ経済活動を、(1)誰が生み出したか(生産面)、(2)その稼ぎが誰の所得になったか(分配面)、(3)誰が買ったか(支出面)の3方向から集計すると、理論上必ず同じ額になります。生み出された価値は必ず誰かの所得になり、生産されたものは必ず誰かに買われる(売れ残りも「企業が自分で在庫として買った」と扱う)からです。
このうち支出面の分解「GDP=消費+投資+政府支出+純輸出」は、景気対策を考える基本の枠組みです。消費が冷え込んだら政府支出で穴を埋める、輸出が落ちたら内需を刺激する、といった議論はこの式の項の出し入れとして整理できます。
名目と実質 — 物価の変化を取り除く
GDPは金額で測るため、物価が上がるだけでも数字は膨らみます。そのままの金額で測ったものを「名目GDP」、物価変動の影響を取り除いたものを「実質GDP」と呼びます。インフレーションが年5%進むなか名目GDPが5%増えても、実質的に経済は1ミリも成長していません。「経済成長率」として報道されるのは通常こちらの実質GDPの伸び率です。名目と実質の比率から逆算される物価指数(GDPデフレーター)は、物価動向を測る指標のひとつとしても使われます。
何が入って、何が入らないか
GDPに入るのは市場で取引された財・サービスの付加価値です。このルールには一貫性がある一方、直観に反する側面もあります。家事や育児は、家政婦やベビーシッターに頼めばGDPに入りますが、自分でやると入りません。無料のインターネットサービスが生む便益もほとんど計上されません。逆に、災害からの復旧工事はGDPを押し上げます — 壊れた分の損失は引かれないのに、直す活動は加算されるからです。中古品の売買や株式の値上がり益も、「新しく生産された価値」ではないためGDPには入りません(仲介手数料は入ります)。
物差しとしての限界
クズネッツの警告どおり、GDPは「豊かさ」の完全な指標ではありません。国全体の合計なので分配の偏りは見えず、平均が伸びていても多数の生活が苦しくなることはあり得ます。余暇の価値は数えられず、労働時間を増やせば増やすほどGDPは伸びます。公害や環境破壊のような外部性のコストも差し引かれません。こうした限界を補うために、一人あたりGDP、購買力平価での調整、幸福度指標や環境調整済みの指標などが併用されます。
それでもGDPが手放されないのは、定義が明確で、国際比較ができ、四半期ごとに更新される「議論の共通土台」として代わりが利かないからです。万能の物差しではなく「市場経済の活動量を測る、限界を知った上で使う道具」— これがGDPとの正しい付き合い方です。
