マクロ経済●●●○○

金本位制

Gold Standard ・ きんほんいせい

通貨を一定量の金と交換できると約束した制度。物価の錨になる代わりに金融政策の自由を失った

✦ 30秒で試す — 航海誰も計算しないのに、金は釣り合う配分へ流れていく数年後、A国で増えた金はどうなる?予想してみる

概要

金本位制は、貨幣の価値を一定量の金と結びつける通貨制度です。たとえば「1ドル=純金約1.5グラム」と法律で定め、紙幣を窓口に持ち込めばいつでもその量の金と交換(兌換)できることを国家や中央銀行が保証します。紙幣はいわば金の預かり証で、その価値は発行者の約束ではなく、金という実物によって裏付けられていました。19世紀後半から第一次世界大戦まで、主要国がこぞって採用した世界標準の仕組みです。

この制度の面白さは、国内の通貨制度でありながら、自動的に国際的な固定相場制になる点です。各国が自国通貨と金の交換比率(金平価)を定めると、通貨同士の為替レートは金を介した換算比率として一つに決まります。円もポンドもドルも「金の別名」になるため、国境を越えた取引の通貨リスクがほぼ消え、19世紀末の貿易と投資の拡大を支えました。一方で、通貨の量が金の保有量に縛られるため、中央銀行が景気に合わせて通貨を調節する自由は失われます。この「安定と自由の交換」が、金本位制を理解する鍵です。

なぜ生まれたか

紙幣には根源的な弱点があります。製造原価がほぼゼロなので、発行者がいくらでも刷れてしまうことです。戦費に追われた政府が紙幣を乱発し、激しいインフレーションで紙幣が紙切れになった例は、アメリカ独立戦争の大陸紙幣、フランス革命期のアッシニア紙幣など数多くあります。人々が紙幣を信用できなければ、お金を介した経済そのものが回りません。

金本位制はこの問題を、物理的な希少性で解決しました。紙幣を金と交換できると約束すれば、発行者は手元の金に見合う以上には紙幣を刷れなくなります。金の産出量は人間の意思では増やせないため、通貨の発行に自然の規律がかかるのです。イギリスは1816年の貨幣法で金を唯一の本位と定め、ナポレオン戦争中に停止していた兌換を1821年に再開して、事実上の金本位制を確立しました。産業革命で世界経済の中心になった同国と取引するため、ドイツ(1871〜73年)、日本(1897年の貨幣法)などが19世紀後半に次々と追随し、アメリカも1900年の金本位法で法制上の金本位制に移りました。誰かが設計した国際体制ではなく、「金に錨を下ろした国同士は自動的に固定相場で結ばれる」という性質によって、結果として世界規模の通貨秩序が生まれたのです。

詳細

金平価と固定相場

各国は自国通貨1単位に対応する金の量(金平価)を法律で定めます。19世紀末には1ポンドに含まれる金の量が1ドルの約4.87倍だったため、1ポンド≒4.87ドルという為替レートが計算だけで決まりました。市場のレートがここから大きくずれれば、通貨を金に換えて船で送り、相手国で通貨に戻す裁定取引が儲かるので、レートは金の輸送費と保険料の幅(金現送点)を超えて動けません。中央銀行が毎日介入しなくても、固定相場がほぼ物理法則のように保たれたわけです。

国際収支の自動調整 — 正貨流出入メカニズム

金本位制のもう一つの柱が、貿易の不均衡がひとりでに直るという理論です。18世紀にデイヴィッド・ヒュームが定式化したこの仕組みは、次のような循環をたどります。輸入が輸出を上回る国からは、代金の支払いのために金が流出します。金が減れば国内の通貨量も減り、物価が下がります。物価が下がればその国の製品は割安になって輸出が回復し、赤字は縮んでいく — 国際収支の不均衡が、政府の介入なしに物価の変化を通じて解消される、という理屈です。

貿易赤字輸入が輸出を上回る金が国外へ流出支払いは最終的に金で決済通貨が減り物価が下落金の裏付け分しか発行できない輸出競争力が回復自国製品が割安になる不均衡は介入なしに自動的に縮小していく
正貨流出入メカニズム — 貿易赤字が金の流出と物価下落を通じて自動修正される循環

数字で追ってみましょう。経済規模が同じ2国に、金が合わせて40枚あるとします。A国が12枚、B国が28枚なら、同じ量の財を回すお金が B国に2倍以上あるので、B国の物価は A国の2倍以上です。A国の財は安くてよく売れ、B国の財は売れません。A国は貿易黒字、B国は赤字になり、代金の金が B国から A国へ流れます。A国の物価は上がり、B国の物価は下がり、金が20枚ずつになって両国の物価がそろったところで、流れは止まります。

下の部品で確かめてください。金庫の金貨をつかんで国境の向こうへ運ぶと、両国の物価と輸出の矢印がすぐに変わります。「▶ 貿易を走らせる」を押すと、赤字国から黒字国へ金貨が1枚ずつ流れ、釣り合った所で止まります。そのあと「両国が成長」を押してみてください。

⚡ 体験: 金貨を運んで、物価と貿易の流れを見る
A国物価水準60最初の物価100経済規模(生産) 2金庫金 12枚B国物価水準140最初の物価100経済規模(生産) 2金庫金 28枚国境Aの輸出Bの輸出Aの黒字
A国の物価60B国の物価140A国の貿易収支+12.6

金庫の金貨をつかんで国境の向こうへ運んでみてください。金が増えた国は物価が上がり、輸出の矢印が細くなります。▶ 貿易を走らせると、金はひとりでに流れます。

上: 物価水準(点線=最初の物価100)。中: 輸出の矢印(太さ=輸出額)。下: 金庫の金貨。金貨を1枚つかむと、その上に積まれた金貨ごと持ち上がる。国境の向こうで離すと相手の金庫へ(金庫を選んで ← → キーでも1枚ずつ運べる)

実際に調整を担ったもの — 「ゲームのルール」と資本移動

ヒュームの物価経由の調整は美しい理屈ですが、実際の金本位制では主役ではありませんでした。物価が動いて貿易の流れが変わるには何年もかかるからです。現実に素早く効いたのは、中央銀行の金利操作でした。金が流出し始めると、イングランド銀行は公定歩合(中央銀行が銀行に貸す金利)を引き上げます。すると高い金利を求めて海外の短期資金がロンドンに集まり、資本移動によって金の流出が止まりました。金が流出したら金利を上げて通貨を絞り、流入したら緩める — 後にケインズが「ゲームのルール」と呼んだこの振る舞いが、自動調整を支えていました。

ただし、どの国もルールを守ったわけではありません。第一次大戦後の1920年代末、フランスと米国は流れ込んだ金を国内の通貨の増加につなげず(不胎化)、金庫に溜め込みました。1932年には、この2国で世界の金準備のおよそ6割を抱えていたと推計されています。金が黒字国で眠ると、赤字国だけが通貨を絞り続けることになり、調整の負担は一方に偏ります。自動調整の仕組みは、黒字国が「金を受け取ったら通貨を増やす」ことに協力しなければ働かなかったのです。

代償 — 金融政策の放棄とデフレの圧力

自動調整の裏側では、大きな代償が支払われていました。第一に、金融政策の自由がありません。固定相場と自由な資本移動を守る以上、自国の景気だけを見て金利を動かすことはできません — これは後に国際金融のトリレンマとして定式化される制約そのものです。不況の国でも、金の流出を止めるには金利を上げ、通貨を絞らなければなりません。景気を支えるはずの金融政策が、金の錨のせいで逆向きに縛られるのです。

第二に、慢性的なデフレーションの圧力です。経済が成長して取引が増えても、通貨の量は金の産出が増えるぶんまでしか増やせません。大きな金鉱の発見が途絶えた1873年から1896年ごろの世界は、経済の拡大に通貨が追いつかず、物価が下がり続けました。物価の下落は借金の実質的な重さを増やし、農民や債務者を苦しめます。1896年の米大統領選でブライアンが「人類を金の十字架に磔にしてはならない」と演説し、銀貨の自由鋳造を訴えたのは、この痛みの表れでした。部品の「両国が成長」で物価が両国そろって沈むのは、この状況です。貿易の釣り合いは保たれたままなので、自動調整は何も助けてくれません。

崩壊 — 「黄金の足かせ」と大恐慌

第一次世界大戦が始まると、各国は戦費調達のために兌換を停止し、金本位制はいったん止まります。1920年代に各国は「正常への復帰」を掲げて金本位制を再建しますが、これが悲劇の伏線になりました。イギリスは1925年、チャーチル蔵相のもとで戦前と同じ旧平価で復帰したためポンドが実力以上に割高になり、輸出不振と失業に苦しみます。そして1929年に始まる大恐慌で、金本位制はデフレを国から国へ伝える装置になりました。金の流出を恐れる各国は、不況のさなかに金利を上げ、通貨を絞る逆向きの対応を強いられたのです。経済史家アイケングリーンはこれを「黄金の足かせ」と呼びました。

日本はこの足かせを、最も悪い時期に自ら締めた国です。浜口内閣の蔵相・井上準之助は、為替を安定させ産業を合理化するとして、1930年1月に金の輸出を解禁し(金解禁)、しかも実勢より円高の旧平価(100円=約49.85ドル)で金本位制に復帰しました。直前に世界恐慌が始まっていたため、割高な円と引き締めが重なって物価は急落し、生糸やコメの価格が暴落して農村は困窮しました(昭和恐慌)。金は大量に流出し、1931年9月にイギリスが金本位制を離脱すると、円売り・ドル買いの投機が殺到します。同年12月に蔵相となった高橋是清は、就任の日に金の輸出を再び禁止し、円安と、日銀による国債の引き受けを使った財政支出で、日本を主要国で最も早く恐慌から抜け出させました。

金本位制にとどまった期間英国1931年9月に離脱日本1930年1月に旧平価で復帰 → 1931年12月に再禁止米国1933年4月に金の輸出を禁止フランス1936年9月に離脱192919301931193219331934193519361937離脱の順に、物価の下落が止まり生産が持ち直した(アイケングリーンとサックス、1985年)
金本位制にとどまった期間(1929年以降)— 足かせを早く外した国ほど、早く恐慌から回復した

実証研究が示すのは冷厳な事実です。イギリス(1931年)、日本(1931年)、アメリカ(1933年)、フランス(1936年)と、金本位制を早く離脱した国ほど、物価の下落が早く止まり、生産も早く回復しました。金の錨を外したことで、各国はようやく通貨を増やし金利を下げる — 不況にふさわしい金融政策を取れるようになったのです。大恐慌を一国の金融危機の連鎖ではなく、金本位制という国際的な仕組みがデフレを世界に広げた出来事として捉え直したことが、この分野の大きな成果でした。

その後 — 金の錨から信認の錨へ

第二次世界大戦後、金本位制はドルだけを金につなぐブレトンウッズ体制として部分的に復活しますが、それも1971年に終わり、現代の通貨は金の裏付けを持ちません。通貨価値の錨は、金という実物から、独立した中央銀行がインフレを抑え込むという制度への信認に置き換わりました。それでも金本位制の記憶は生きています。通貨の発行に規律を求める議論は形を変えて繰り返され、発行上限を持つビットコインが「デジタルゴールド」と呼ばれるのもその残響です。金本位制は「通貨の信認をどう担保するか」という問いへの、偉大だが柔軟さを欠いた解答として、今の制度設計を映す鏡になっています。

試問

A国の経済は B国の1.5倍の大きさですが、金は B国に偏っています。このままでは A国の財ばかりが売れ、金は A国へ流れ続けます。

✦ 命題挑戦中

経済規模が3対2の2国のあいだで、金貨を国境の向こうへ運び、両国の貿易収支がちょうど均衡する金の配分を作れ

  • 両国の物価水準がそろっている
  • 貿易収支が均衡している(輸出の矢印が同じ太さ)
  • 金貨はすべて金庫に収まっている(総量 40枚のまま)
⚡ 体験: 金貨を運んで、2国の貿易を釣り合わせる
A国物価水準33最初の物価100経済規模(生産) 3金庫金 8枚B国物価水準200最初の物価100経済規模(生産) 2金庫金 32枚国境Aの輸出Bの輸出Aの黒字
A国の物価33B国の物価200A国の貿易収支+32.2

A国の経済はB国の 1.5倍 の大きさですが、金は B国に偏っています。金庫の金貨をつかんで国境の向こうへ運び、両国の貿易がちょうど釣り合う配分を作ってください。

上: 物価水準(点線=最初の物価100)。中: 輸出の矢印(太さ=輸出額)。下: 金庫の金貨。金貨を1枚つかむと、その上に積まれた金貨ごと持ち上がる。国境の向こうで離すと相手の金庫へ(金庫を選んで ← → キーでも1枚ずつ運べる)