対数正規分布
Lognormal Distribution ・ たいすうせいきぶんぷ
対数を取ると正規分布になる分布。所得や応答時間など右に裾を引く量のモデル
概要
対数正規分布は、「対数を取ると正規分布になる」確率分布です。値そのものは0より大きく、左側は0の壁で詰まり、右側には長い裾を引く非対称な形をしています。所得、Webサービスの応答時間、株価、細菌のコロニーサイズ、SNSの投稿の閲覧数 — 「マイナスにならない」「大多数は小さめだが、たまに桁違いに大きい値が出る」タイプの量の多くが、この分布でうまく近似できます。
正規分布との関係は鏡写しのように整っています。正規分布が「足し算の世界」の分布であるのに対し、対数正規分布は「掛け算の世界」の分布です。多数の独立な要因が足し合わさった量は正規分布に近づきますが、要因が掛け算で効いてくる量 — 毎期の成長率が掛かっていく資産、複数の工程の倍率が掛かる処理時間など — は対数正規分布に近づきます。対数を取ると掛け算が足し算に変わるため、対数の世界では中心極限定理がそのまま働くからです。
実務では「右に裾を引いたデータを見たら、まず対数を取ってみる」という定石の背後にある分布です。ヒストグラムが右に歪んでいても、対数を取った途端に見慣れた釣鐘型が現れる — この体験は探索的データ分析で頻繁に訪れます。
なぜ生まれたか
19世紀後半、正規分布が「自然に遍在する分布」として確立する一方で、それに従わないデータも次々と見つかっていました。所得や反応時間のようなデータは決してマイナスにならず、明確に右へ歪んでいます。無理に正規分布を当てはめると「マイナスの所得」に確率を割り当てることになり、平均 ± 2σ といった読み方も破綻します。歪んだデータを扱う理論的な枠組みが必要でした。
答えのひとつが「対数の世界で考える」ことでした。ゴルトンは、人間の感覚が刺激の絶対量ではなく比率に反応する(音量や明るさの知覚など)ことを踏まえ、比率で効く量は対数を取ってから正規分布を当てはめるべきだと論じました。のちにこの考えは「独立な倍率が多数掛け合わさった量は対数正規分布に近づく」という掛け算版の中心極限定理として整理され、正規分布の理論体系を、右に歪んだ正のデータへそっくり移植する道が開かれたのです。
詳細
形の特徴 — 平均・中央値・最頻値がずれる
対数正規分布の最大の特徴は、代表値が3つとも異なる位置に来ることです。山の頂上(最頻値)が最も左、真ん中で人口を二分する中央値がその右、そして平均はさらに右 — 右の長い裾にいる少数の大きな値が平均を引っ張り上げるためです。「平均所得は中央値よりずっと高く、大半の人は平均以下」という所得統計でおなじみの現象は、対数正規分布の形そのものです。この歪度の強いデータでは、平均だけを見ると典型像を見誤るため、中央値や分位数を併記するのが定石になります。
掛け算の世界の中心極限定理
対数正規分布が自然界と社会に広く現れる理由は、生成のメカニズムにあります。ある量が毎期「前の値 × 今期の倍率」で変化していくとします。倍率が独立な確率変数なら、最終的な値の対数は「倍率の対数の合計」になり、中心極限定理によって正規分布に近づきます。つまり元の値は対数正規分布に近づく。資産の複利成長、企業規模の変遷、生物の成長のように「変化が現在の大きさに比例する」プロセスは、みなこの筋書きに乗ります。正規分布が「独立な要因の足し算」の帰結であるのとちょうど対をなす成り立ちです。
対数変換 — 実務での定番の一手
対数正規分布とみなせるデータは、対数を取るだけで正規分布の道具一式が使えるようになります。歪んだデータのままt分布ベースの検定や線形回帰を適用すると前提が崩れがちですが、対数変換後なら安心して使えることが多い。回帰分析で価格や所得を対数にしてからモデルに入れるのはこのためで、係数の解釈も「何円増える」から「何%増える」という比率の言葉に変わります。可視化でも、桁をまたぐデータは対数軸で描くと構造が見える — データ可視化の基本技のひとつです。ただし、変換後の平均を単純に指数で戻すと中央値に相当する値になり、元のスケールの平均とはずれる点には注意が必要です。
べき乗則との見分け — 似て非なる隣人
右に長い裾を引く分布としてはべき乗則も有名で、両者は実データ上しばしば見分けが困難です。違いは裾の減り方にあります。対数正規分布の裾は遠くへ行くほど減衰が加速するのに対し、べき乗則の裾はどこまでも同じ比率で減り続け、極端な値がさらに出やすい。都市の人口や単語の頻度をどちらでモデル化すべきかは統計学の長年の論争テーマで、「両対数プロットで直線に見える」程度の観察では区別できないことが知られています。実務上は、手元のデータの範囲でどちらがよく当てはまるかに加えて、「掛け算的な成長か、優先的選択のような集中メカニズムか」という生成過程の考察を添えて選ぶのが健全です。
使いどころと落とし穴
対数正規分布を仮定する場面の代表は、応答時間のパーセンタイル管理(p50よりp95・p99が重要になるのは裾が長いからです)、金融工学での株価モデル(ブラック・ショールズモデルは株価が対数正規分布に従うと仮定します)、環境科学での汚染物質濃度などです。落とし穴は、0や負の値を含むデータにそのまま対数を取れないこと、そして「右に歪んでいるから対数正規」と機械的に決めつけることです。まずヒストグラムと対数変換後のヒストグラムを見比べ、外れ値なのか裾の一部なのかを吟味する — その観察の習慣こそが、この分布を学ぶ実利です。
