累進課税
Progressive Tax ・ るいしんかぜい
所得が高いほど高い率で課税する仕組み。所得を区間に輪切りにし、はみ出した部分にだけ高い税率をかける
✦ 30秒で試す — 航海年収が1円増えても、増えた1円にしか高い税率はかからないこの人は、所得の何%を税で払っている?予想してみる概要
累進課税は、所得が高い人ほど高い「率」で税を負担する仕組みです。金額が多いだけでなく、所得に占める税の割合そのものが上がっていくのがポイントです。日本の所得税の税率は5%から45%まで7段階に分かれていて、課税所得(収入から各種の控除を引いた額)が500万円の人の所得税は約57万円で所得の約11.5%、3,000万円の人は約920万円で約31%です。支払い能力に応じて負担に傾きを付けるこの仕組みは、税と社会保障で格差を調整する所得再分配の中心的な道具です。
「金持ちからは多く取る」という公平の感覚を制度にしたものですが、その裏側には精巧な設計があります。よくある誤解が「年収が一定額を超えると税率が跳ね上がって手取りが減る」というものです。実際の所得税は、所得を輪切りにして区間ごとに税率を適用する「超過累進」なので、所得税だけを見る限り、稼ぎが増えて手取りが減ることはありません。ただし、社会保険の扶養の壁や給付の所得制限が重なると話は別です。この仕組みと、それでも残る「働く意欲を削ぐのではないか」という論点が、累進課税を理解する2つの柱になります。
なぜ生まれたか
近代以前の税は、人数割りの人頭税や、塩・パンといった生活必需品への課税が中心でした。こうした税は、貧しい人ほど所得に対する負担率が重くなる「逆進的」な性質を持ちます。誰もが同じ量の塩を使うなら、塩税の負担は所得の少ない人に相対的に重くのしかかるからです。産業革命以降に貧富の差が目に見えて拡大すると、「同じ1万円でも、生活ぎりぎりの人が手放す1万円と、富豪が手放す1万円では痛みがまるで違う」という感覚が無視できなくなりました。経済学の言葉では限界効用の逓減 — 所得が増えるほど追加の1円のありがたみは薄れる — で説明され、「同じ率の犠牲ではなく、同じ痛みの犠牲を求めるべきだ」という応能負担の考え方につながります。
累進的な所得税が定着したのは19世紀末から20世紀前半です。日本は1887年に所得税を導入したときから、1%から3%の累進税率でした。イギリスやドイツでも導入が進み、2度の世界大戦の戦費調達で最高税率は各国で急上昇しました(米国は1944年に94%)。この時期は、税を財源集めの手段としてだけでなく、格差を是正する所得再分配の道具として位置づけ直した転換点でもありました。累進課税は「国家の財布」と「社会の公平」という2つの要請が交差する場所に生まれた制度です。
詳細
超過累進 — 所得を輪切りにして区間ごとに課税する
累進課税の中核は超過累進という計算方式です。日本の所得税では、課税所得のうち195万円までの部分に5%、195万円を超え330万円までの部分に10%、330万円を超え695万円までの部分に20%、695万円を超え900万円までに23%、900万円を超え1,800万円までに33%、1,800万円を超え4,000万円までに40%、4,000万円を超える部分に45%がかかります。課税所得500万円の人は「500万円全体に20%」ではなく、「最初の195万円に5%(9.75万円)、次の135万円に10%(13.5万円)、残りの170万円に20%(34万円)」を払い、合計は57.25万円です。所得が1円増えても、増えた1円にだけその区間の税率がかかるので、所得税で手取りが逆転することは構造上ありません。
ここで重要なのが、限界税率と平均税率の区別です。限界税率は「追加で稼いだ1円にかかる税率」、平均税率は「所得全体に対する税額の割合」です。課税所得500万円の例では、限界税率は20%ですが、平均税率は57.25万円÷500万円=約11.5%にとどまります。「最高税率45%」と聞くと所得の半分近くが消えるように感じますが、45%がかかるのは4,000万円を超えた部分だけで、平均税率が45%に届くことはありません。
実際の負担には、所得税のほかに住民税(所得割はほぼ一律10%)と、所得税額の2.1%の復興特別所得税が加わります。所得税と住民税を合わせた最高税率は約55%(復興特別所得税を含めると約56%)です。復興特別所得税は2027年から1.1%に下がり、代わりに防衛力強化の財源として所得税額の1%の防衛特別所得税がかかる予定なので、合計の率は当面変わりません。
旗を動かして、限界税率の階段と平均税率の曲線がどうずれていくかを確かめてください。「手取りの線」に切り替えると、所得税以外の仕組みが作る段差も見えます。
所得の旗をつかんで右へ動かしてみてください。下の棒は区間ごとに満たされ、紫の部分が税です。
階段=限界税率(その区間の所得にかかる率)、金の線=平均税率(税額÷所得)。所得税のみ(復興特別所得税・住民税は含まない)
手取りの逆転は、どこで起きるのか
所得税だけなら手取りは逆転しませんが、家計の手取りは税だけで決まるわけではありません。会社員の配偶者などが社会保険の扶養に入っていると、年収が130万円(勤め先の規模などによっては106万円)を超えた瞬間に自分で保険料を払う必要が生じ、手取りがまとまって減ります。給付に所得制限があって一定額を超えると打ち切られる制度も同じ段差を作ります。追加で稼いだ額のうち、税・保険料・給付の減額で消える割合を実効限界税率と呼び、段差の上ではこれが100%を超えます。「働くほど損をする」のは所得税の累進ではなく、こうした段差のせいです。
所得税の側でも、非課税となる年収の水準(いわゆる103万円の壁)は、2025年の改正で基礎控除などが引き上げられて160万円に、2026年分からは178万円になりました。物価の上昇に合わせて控除額を見直す仕組みも入っています。一方の社会保険では、2025年の年金制度改正で、短時間労働者が厚生年金に入る「月額8.8万円(年収約106万円)」の賃金要件を撤廃することが決まりました。壁を低くするか、段差をなだらかにするか — 制度設計の焦点は、実効限界税率が100%を超える区間をなくすことにあります。
公平と効率のトレードオフ
累進課税の設計は、公平と効率の綱引きそのものです。累進を強めるほど再分配の効果は大きくなり、ジニ係数で測った格差は縮みます。しかし限界税率が高くなりすぎると、「これ以上働いても半分以上持っていかれる」状況が生まれ、労働や投資へのインセンティブを弱めるおそれがあります。高所得者ほど働き方や所得の形(給与か、株式報酬か、どの国で稼ぐか)を調整する余地が大きいため、税率を上げても課税の対象が逃げて、税収が思ったほど増えないことも起きます。
この綱引きを数式で解こうとしたのが最適所得税の理論です。ジェームズ・マーリーズ(1971年、1996年ノーベル経済学賞)は、政府が人々の能力を直接は観察できず、稼いだ所得しか見えないという情報の制約のもとで、公平と効率の両方を考えた最適な税率表を導きました。エマニュエル・サエズ(2001年)はこれを、実証で推定できる数字 — 税率に対して課税所得がどれだけ反応するか(価格弾力性と同じ考え方の「課税所得の弾力性」)と、高所得層の所得分布の厚み — で最高税率を計算できる形に書き直しました。ダイヤモンドとサエズ(2011年)は米国について、税収を最大にする最高税率を約73%と試算しています。弾力性がもっと大きいと見る研究者はもっと低い税率を支持し、論争はこの弾力性の大きさをめぐって続いています。
主要国の所得税の最高税率は、第二次大戦後には70〜90%台に達していましたが、1980年代の減税の波以降は40〜50%前後に収まっています。「高すぎる累進は効率を損なう」という考え方が優勢になった時代の反映ですが、近年は格差の拡大を受けて、再び累進の強化を求める議論が力を得ています。
景気の自動ブレーキとしての顔
累進課税には、景気を安定させる副産物もあります。好況で所得が伸びると、より高い税率の区間に入る人が増えて税負担が所得以上の速さで増え、過熱を抑えます。不況で所得が減れば、逆に税負担が所得以上に軽くなり、手取りの落ち込みを和らげます。国会の審議を待たずに景気と逆方向の力が自動で働くこの性質は自動安定化装置と呼ばれ、財政政策の重要な一部です。
実務での落とし穴 — 何が累進で、何がそうでないか
税制全体を見るときは、個々の税の性質を見分ける目が要ります。所得税は累進的ですが、消費税は税率が一律なので、所得に対する負担率で見ると低所得者ほど重い逆進性を持ちます。社会保険の保険料には上限(標準報酬月額の上限)があるため、高所得層では負担率がむしろ下がります。株式の配当や売却益は給与と分けて約20%の一律税率で課税されるので、金融所得の多い富裕層ほど実効的な負担率が下がる「1億円の壁」と呼ばれる現象が生じます。これに対して2025年分からは、極めて高い所得(おおむね所得30億円程度から)に最低限の負担を求める追加の課税が始まりました。
もうひとつの古典的な落とし穴が、インフレーションで名目所得だけが増え、実質的な購買力は変わらないのに高い税率の区間へ押し上げられる「ブラケットクリープ」です。税率の区間や控除額を物価に連動させる国があるのはこのためで、日本の2026年分からの控除の物価連動もこの問題への対応です。累進課税を評価するには、所得税の税率表だけでなく、税と社会保険料と給付の全体でどれだけ累進的かを見る必要があります。
試問
所得の旗をつかんで左右に動かしてください。上の階段が限界税率、金の線が平均税率です。
階段=限界税率(その区間の所得にかかる率)、金の線=平均税率(税額÷所得)。所得税のみ(復興特別所得税・住民税は含まない)
