純正律
Just Intonation ・ じゅんせいりつ
単純な整数比だけで音階を組み、最高に澄んだ響きを得る音律。転調に弱い
概要
純正律とは、音階のすべての音を 2:3 や 4:5 といった単純な整数比だけで組み立てる音律です。周波数が単純な整数比にある2音は倍音がぴったり重なり合い、うなりのない、溶け合うように澄んだ響きになります。純正律はこの「最高に協和する響き」を音階の設計原理そのものに据えた音律で、いわば響きの美しさを最優先にしたチューニングです。
たとえばドミソの長三和音を、純正律では周波数比 4:5:6 という美しい比率で鳴らします。現代のピアノ(平均律)のドミソと聴き比べると、純正律の和音は濁りが消えてガラスのように透明に響き、平均律の和音にはかすかなうなり(ワウワウという揺れ)が混ざっていることに気づきます。合唱やアカペラ、弦楽四重奏など、奏者がその場で音の高さを微調整できるアンサンブルでは、今日でもハーモニーの瞬間には自然と純正律的な音程が選ばれています。
ただし純正律には大きな弱点があります。ある1つの調を基準に音を決めると、その調では美しくても、別の調に移った途端に音程が崩れてしまうのです。この「響きの純度」と「転調の自由」のトレードオフこそ、その後の音律の歴史全体を貫くテーマになりました。
なぜ生まれたか
最古の音律であるピタゴラス音律は、純粋な五度 2:3 だけを積み上げて音階を作るため、五度と四度は完璧に響く一方、長三度が 64:81 という複雑な比になり、ざらついた緊張感のある響きになってしまいます。中世の音楽では三度はそもそも不協和音程の扱いだったのでこれで困りませんでしたが、ルネサンス期に三度を含む和音(三和音)がハーモニーの主役になると、「三度が濁る音律」は決定的な欠陥になりました。
そこで理論家たちは、三度にも単純な比を与える音階を設計します。長三度を倍音列に由来する 4:5 に取り直し、五度 2:3・四度 3:4 と組み合わせて全音階を整数比で構成する — 16世紀の理論家ザルリーノらが体系化したこの音律が純正律です。歌い手が耳で「いちばん溶ける高さ」を探ると自然に整数比に落ち着くという意味で、純正律は発明というより、人間の耳が求める響きを理論として書き下したものだと言えます。
詳細
音階を整数比で組み立てる
ハ長調を例にすると、純正律の長音階は主音ドを 1 として、レ 9/8、ミ 5/4、ファ 4/3、ソ 3/2、ラ 5/3、シ 15/8、上のド 2 という比で作られます。設計の核はドミソ・ファラド・ソシレという主要三和音がすべて 4:5:6 になることで、和音の響きから逆算して音階が決まっているのがピタゴラス音律との根本的な違いです。この音階では、隣り合う音の音程が3種類に分かれます。9/8 の大全音、10/9 の小全音、16/15 の全音階的半音です。「全音」に2つのサイズがあるという事実が、後で見る弱点の伏線になります。
なぜ整数比は美しく響くのか
秘密は倍音列にあります。楽器の音には基音の2倍・3倍・4倍…の周波数の倍音が含まれており、2音の周波数比が単純な整数比だと、多くの倍音の周波数が正確に一致します。一致した倍音は溶け合い、わずかにずれた倍音はうなりを生む — 協和と不協和の物理的な正体はこの倍音の重なり具合です。純正律の長三度 5:4 は約386セントで、平均律の長三度400セントより14セントも低く、この差がうなりの有無としてはっきり聴き取れます。「平均律に慣れた耳には純正三度はむしろ低く聞こえる」と言われるほど、両者の響きは別物です。
弱点 1 — 調の中にすでに狼がいる
美しい設計の裏で、純正律のハ長調にはすでにほころびがあります。レ(9/8)とラ(5/3)の間の五度は 27:40 となり、純粋な 3:2 よりコンマ(約22セント)も狭い、うなりの激しい五度です。つまりレファラの和音は、主要三和音のためにレとラの比を最適化した副作用で、調の内部ですら濁ってしまうのです。全音に大小2種類ある不均等さも同根の問題で、旋律的には同じ「全音」のはずの動きが場所によって微妙に違う幅になります。
弱点 2 — 転調・移調に耐えられない
さらに深刻なのが転調です。ハ長調用に調律した楽器でト長調を弾くと、音階に必要な音の一部が正しい比からずれ、和音の純度は崩れます。すべての調で純正な響きを得ようとすると、1オクターブに12鍵ではまったく足りず、理論上は数十個の鍵が必要になってしまいます。実際、16〜17世紀には1オクターブに19鍵や31鍵を備えた実験的な鍵盤楽器(ヴィチェンティーノのアルチチェンバロなど)が作られましたが、演奏の困難さから普及しませんでした。音高が固定される鍵盤楽器と純正律は根本的に相性が悪く、この矛盾を妥協で解決したものが中全音律や、のちの平均律です。
現代における純正律
純正律は過去の遺物ではありません。アカペラコーラスやバーバーショップ・スタイルの合唱は、和音が鳴る瞬間ごとに各歌手が音程を微調整して純正な響きを作る「適応的純正律」で歌っていますし、弦楽アンサンブルや金管アンサンブルでも和音の純度を耳で合わせる訓練は基本中の基本です。また、音高を自由に設定できるシンセサイザーやコンピュータ音楽の世界では、平均律の制約を離れて純正律やその拡張(7倍音・11倍音まで使う拡張純正律)を探求する作曲家が現れ、ラ・モンテ・ヤングやハリー・パーチらの系譜として現代音楽の一分野になっています。純正律を知ることは、平均律という現代の標準が「何を犠牲にして自由を買ったのか」を知ることでもあるのです。
