純正律
Just Intonation ・ じゅんせいりつ
単純な整数比だけで音階を組み、最高に澄んだ響きを得る音律。転調に弱い
✦ 30秒で試す — 航海音を整数比で合わせれば、和音のうなりは消えて澄みきる同じ楽器で白鍵だけの和音 Dm を鳴らすと?予想してみる概要
純正律とは、音階の音を 2:3 や 4:5 といった単純な整数比だけで組み立てる音律です。周波数が単純な整数比にある2音は倍音がぴったり重なり合い、うなりのない、溶け合うように澄んだ響きになります。純正律はこの「最もよく協和する響き」を音階の設計原理そのものに据えた音律で、響きの美しさを最優先にしたチューニングだと言えます。
たとえばドミソの長三和音を、純正律では周波数比 4:5:6 で鳴らします。現代のピアノ(平均律)のドミソと聴き比べると、純正律の和音は濁りが消えてガラスのように透明に響き、平均律の和音にはかすかなうなり(ワウワウという揺れ)が混ざっていることに気づきます。合唱やアカペラ、弦楽四重奏など、奏者がその場で音の高さを微調整できるアンサンブルでは、今日でもハーモニーの瞬間には自然と純正律的な音程が選ばれています。
ただし純正律には大きな弱点があります。ある1つの調を基準に音の高さを決めると、その調の中にさえ濁る和音が残り、別の調へ転調した途端にさらに音程が崩れてしまうのです。この「響きの純度」と「転調の自由」のトレードオフが、その後の音律の歴史全体を貫くテーマになりました。
なぜ生まれたか
最古の音律であるピタゴラス音律は、純粋な五度 2:3 だけを積み上げて音階を作るため、五度と四度は完璧に響く一方、長三度が 64:81 という複雑な比になり、ざらついた緊張感のある響きになってしまいます。三度が協和の仲間として扱われ始めたのは13世紀ごろからですが、その後15〜16世紀に三度を含む三和音がハーモニーの主役になると、「三度が濁る音律」は決定的な欠陥になりました。
そこで理論家たちは、三度にも単純な比を与える音階を設計します。長三度を倍音列に由来する 4:5 に取り直し、五度 2:3・四度 3:4 と組み合わせて全音階を整数比で構成するのです。考え方そのものは古く、2世紀のプトレマイオスがすでに 5:4 の三度を含む音階(シントニック・ディアトニック)を記しており、1482年にはスペインのラモス・デ・パレハが実用的な単弦の分割法としてこれを提案しました。16世紀のツァルリーノがこの音階を和声の理論の土台に据え、体系化したことで純正律は広く知られるようになります。歌い手が耳で「いちばん溶ける高さ」を探ると自然に整数比に落ち着くという意味で、純正律は発明というより、人間の耳が求める響きを理論として書き下したものだと言えます。
詳細
音階を整数比で組み立てる
ハ長調を例にすると、純正律の長音階は主音ドを 1 として、レ 9/8、ミ 5/4、ファ 4/3、ソ 3/2、ラ 5/3、シ 15/8、上のド 2 という比で作られます。設計の核はドミソ・ファラド・ソシレという主要三和音がすべて 4:5:6 になることで、和音の響きから逆算して音階が決まっているのがピタゴラス音律との根本的な違いです。この音階では、隣り合う音の音程が3種類に分かれます。9/8 の大全音、10/9 の小全音、16/15 の全音階的半音です。「全音」に2つのサイズがあるという事実が、後で見る弱点の伏線になります。
なぜ整数比は美しく響くのか
秘密は倍音列にあります。楽器の音には基音の2倍・3倍・4倍…の周波数の倍音が含まれており、2音の周波数比が単純な整数比だと、多くの倍音の周波数が正確に一致します。一致した倍音は溶け合い、わずかにずれた倍音はうなりを生む — 協和と不協和の物理的な正体はこの倍音の重なり具合です。純正律の長三度 5:4 は約386セントで、平均律の長三度400セントより14セント低く、この差がうなりの有無としてはっきり聴き取れます。「平均律に慣れた耳には純正の長三度はむしろ低く聞こえる」と言われるほど、両者の響きは別物です。
弱点1 — 調の中にすでに濁った和音がある
美しい設計の裏で、純正律のハ長調にはすでにほころびがあります。レ(9/8)とラ(5/3)の間の五度は 27:40 となり、純粋な 2:3 よりコンマ1つ分(約21.5セント)も狭い、うなりの激しい五度です。レとファの短三度も 27:32 で、純正な 5:6 よりやはりコンマ1つ分狭くなります。つまり ii の和音レファラは、主要三和音のためにレとラの高さを決めた副作用で、調の内部ですら濁ってしまうのです。全音に大小2種類ある不均等さも同じ根から出ており、旋律的には同じ「全音」のはずの動きが、場所によって微妙に違う幅になります。
弱点2 — 転調・移調に耐えられない
さらに深刻なのが転調です。ハ長調用に調律した楽器でト長調を弾くと、ト長調の属和音レファ♯ラに、あの狭いレ〜ラの五度がそのまま入り込みます。調の要である属和音が濁るのです。すべての調で純正な響きを得ようとすると、同じ「レ」にも 9/8 と 10/9 のように高さの違う2つが必要になり、1オクターブに12鍵ではまったく足りません。純正律の理想を鍵盤に載せる試みとしては、1オクターブを数十に分けた実験楽器も作られましたが、実用にはなりませんでした(16世紀のヴィチェンティーノが作った31鍵のアルチチェンバロがよく引き合いに出されますが、これは純正律ではなく、中全音律を異名同音の区別まで拡張した、31等分に近い調律のための楽器です)。音高が固定される鍵盤楽器と純正律は根本的に相性が悪く、この矛盾を妥協で解いたものが中全音律や、のちの平均律です。
次の部品は、ハ長調用の純正律に調律した楽器です。まず I・IV・V を鳴らして澄んだ響きを確かめ、次に ii を、最後に調をト長調に切り替えて V を鳴らしてみてください。音律を平均律に切り替えると、どの和音も同じだけ濁ることも聴き比べられます。
● 純正 ● ほぼ純正(5セント未満)● はっきり外れてうなる(点滅はうなりの速さ)
この楽器はハ長調用の純正律で調律してあります。まず I(C) を押して止まったように澄んだ響きを聴き、次に ii(Dm) を押してみてください。
現代における純正律
純正律は過去の遺物ではありません。アカペラコーラスやバーバーショップ・スタイルの合唱は、和音が鳴る瞬間ごとに各歌手が音程を微調整して純正な響きを作る「適応的純正律」で歌っていますし、弦楽アンサンブルや金管アンサンブルでも和音の純度を耳で合わせる訓練は基本中の基本です。ただし和音ごとに純正に合わせ続けると、進行によっては全体のピッチが少しずつ沈んでいく(コンマ・ポンプ)ため、実際の演奏は純度と高さの安定の間で絶えず折り合いをつけています。また、音高を自由に設定できるシンセサイザーやコンピュータ音楽の世界では、平均律の制約を離れて純正律やその拡張(7倍音・11倍音まで使う拡張純正律)を探求する作曲家が現れ、ラ・モンテ・ヤングやハリー・パーチらの系譜として現代音楽の一分野になっています。純正律を知ることは、平均律という現代の標準が「何を犠牲にして自由を買ったのか」を知ることでもあるのです。
試問
ハ長調の I・IV・V(C・F・G)が完全に澄むよう、整数比で調律した楽器があります。和音・調(ハ長調/ト長調)・音律(この純正律/平均律)を選ぶと和音が鳴り続け、3本の音程の純正からのずれ(セント)とうなりの速さが、線の色と点滅で見えます。
● 純正 ● ほぼ純正(5セント未満)● はっきり外れてうなる(点滅はうなりの速さ)
この楽器はハ長調用の純正律で調律してあります。和音・調・音律を選ぶと鳴り続け、3本の音程のずれとうなりが線の色と点滅で見えます。
