ピタゴラス音律
Pythagorean Tuning ・ ぴたごらすおんりつ
純粋な五度2:3だけを積み上げて12音を作る最古の音律。三度が濁るのが弱点
概要
ピタゴラス音律とは、周波数比3:2の純正な完全五度だけをひたすら積み上げて12音を作る、記録に残る最古の音律です。名前は古代ギリシャのピタゴラス学派に由来し、弦の長さを2:3に分けると美しく響く五度が得られるという発見が出発点にあります。使う材料はオクターブの2:1と五度の3:2というたった2つの比だけ。この潔さゆえに、五度と四度は完璧に澄んだ響きになります。
同じ原理は西洋だけのものではありません。古代中国でも「三分損益法」——弦の長さを3分の1ずつ切り詰めたり継ぎ足したりして音を得る方法——として独立に発見されており、五度を積むという発想が音の物理に根ざした普遍的なものであることを物語っています。西洋音楽では中世を通じて標準の音律であり続け、五度圏という発想の原型も、この「五度の連鎖で音を生む」体系にさかのぼります。
なぜ生まれたか
音楽をするには、まず「どの高さの音を使うか」を決めなければなりません。しかし基準になるものが何もない時代に、音の高さを再現可能な形で定義するのは難題でした。ピタゴラス学派の答えは、耳ではなく数に基準を置くことです。一弦琴(モノコード)の弦を単純な整数比で分割すると、2:1でオクターブ、3:2で五度という、誰の耳にも明確に協和する音程が得られます。この2つの比さえあれば、あとは機械的な操作の繰り返しですべての音を導出できる——音の体系を測定と計算で再現可能にした、いわば音楽の公理化がピタゴラス音律でした。
実際、ドから五度を積んでソ・レ・ラ・ミ・シを得れば、オクターブ内に折り返すだけで7音の音階が完成します。旋律中心だった中世の聖歌や、五度・四度の平行で歌うオルガヌム(初期の多声音楽)にとって、五度が完璧に澄むこの音律はまさに理想の答えだったのです。
詳細
生成の仕組み — 五度を積み、オクターブ内へ折り返す
作り方は単純です。基準の音に3/2を掛けて五度上の音を作り、オクターブを超えたら2で割って元のオクターブ内に戻す。これを繰り返すだけです。ドを1とすると、ソは3/2、レは五度2回分の9/4を折り返して9/8、ラは27/16、ミは81/64、シは243/128となります。ここから導かれる全音は9:8(約204セント)で、すべての全音が同じ幅になります。一方、半音には2種類の幅が生じます。ミとファの間のような全音階的半音はリンマ(256:243、約90セント)と呼ばれる狭い半音、ファとファ♯のような半音階的半音はアポトメ(約114セント)と呼ばれる広い半音で、平均律のような均一な100セントの半音は存在しません。
弱点その1 — 三度が濁る
ピタゴラス音律の最大の弱点は長三度です。五度を4回積んで折り返した長三度は81:64(約408セント)となり、倍音列に由来する純正な長三度5:4(約386セント)より約22セントも広くなります。この差はシントニックコンマと呼ばれるコンマの一種で、半音の5分の1を超えるはっきり聴き取れるずれです。旋律や五度の平行が中心だった中世には問題になりませんでしたが、ルネサンス期に三度を含む和音が音楽の中心になると、この濁った三度は致命的な欠点になりました。三度の純正さを取り戻すために生まれたのが純正律やミーントーンであり、音律の歴史はここから動き出します。
弱点その2 — 円が閉じない
もう1つの弱点は図に示したとおりです。五度を12回積めば12音がすべて出そろい、ちょうど7オクターブ上の出発音に戻ってほしいところですが、実際には約23.5セント(ピタゴラスコンマ)だけ行き過ぎてしまいます。つまりピタゴラス音律の五度の連鎖は、円ではなく閉じない螺旋です。1オクターブ12音の楽器に収めるには、どこか1か所の五度を約24セントも狭くして帳尻を合わせるしかなく、そこにはウルフの五度と呼ばれる使いものにならない唸る五度が生じます。また、この体系ではミ♯とファのような異名同音は実際に高さの異なる別の音であり、両者が同じ鍵盤で済むようになるのは、コンマを塗りつぶした後世の平均律においてです。
現代に残るピタゴラス的な感覚
ピタゴラス音律は過去の遺物ではありません。ヴァイオリンなどのフレットのない弦楽器の奏者は、旋律を弾くとき導音を高めに取り、半音を狭く詰める傾向があることが知られていますが、これはリンマの狭い半音を持つピタゴラス的な音程感覚そのものです。旋律にはピタゴラス的な音程が、和音には純正な音程が心地よいという使い分けは、現代の演奏実践にも生きています。また「五度を積むと12音が一巡する」という構造は、そのまま調同士の遠近を示す五度圏の骨格として、音楽理論の中心に残り続けています。
